【三人閑談】
ツタンカーメンの謎
2025/06/25
進化する展示
山花 最新の展示は本当にすごいですよね。見ていて飽きないというか。
田澤 それはエジプトだけではなく現在の博物館の潮流もあると思います。一番は包摂性(インクルーシブ)です。
いわゆるユニバーサルミュージアムということで、目や耳が不自由な方にもわかるような展示の仕方を心掛けているんです。
河合 より幅広い方々に楽しんでいただけるようになっていますね。
田澤 UDトークというアプリがあるのですが、これを使うと音声を自動で文字起こししてくれたり、書き起こした文字を読み上げてくれたりするんです。非常に便利で、最近はワークショップをやると、UDトークを使って私の解説を聞いて下さる方もいらっしゃいます。
あと、よくあるのは3Dプリンターで遺物のレプリカを作って、目の不自由な方にも触っていただく。先程のマスクの話ではないですが、ここは継ぎ目がないとか、そういうことも触ってわかるようになっているんです。そういった点もすべて再現されているので、今まで発信されていたものをさらに深く実感してもらえるように、今後発信することはできると思います。
山花 より色々な展示を楽しめそうですね。
田澤 それに遺物がたくさんあるというのは、大きいんです。ツタンカーメンは特に5000点あるので、エジプトの展示は将来性がものすごくあると思います。
河合 3Dの話でいいますと、私はツタンカーメンのチャリオットを研究させていただく機会があったんです。JICAが技術協力し、今、エジプト・ギザのピラミッド近くに、「大エジプト博物館」という世界最大級の博物館が建設されているのですが(2024年10月16日より、常設展示を一部オープン)、その作業の一環で、チャリオットを研究させてもらえることになったんです。
田澤 すごく貴重な体験ですね。
河合 元々は古い考古学博物館から移送するために保存・修復をする診断を行うということだったんです。一応、ツタンカーメンの専門家ということで実物を検証する時に一緒にやらせていただきました。
実はこのチャリオットには不思議なところがあって、ボディーの表面を見ると、何か装着されていた痕跡みたいなものがあったんです。しかも痕だけではなく、穴も空いている部分がある。
山花 気になりますね。
河合 実はチャリオットとともに日よけが見つかっていたのですが、発掘したカーターはツタンカーメンがどこかで休憩するときに日よけとして使われていた物で、チャリオットとは関係ないと言っていました。
ただ、気になったのは、この日よけが真上から見た際に台形だったことです。休憩用の日よけだったら、台形である必要はない。
田澤 確かに。
河合 なんでこれは台形なんだと。この謎を証明するべく、オックスフォード大学のグリフィス研究所へ行って、カーターが描いた実際のオリジナルの図面を見せてもらったんです。細かく色々メモ書きしてあり、確認したところ、やはりチャリオットと日よけの関連性は非常に高いということがわかりました。
チャリオットと日よけのボディーを合わせて、上から俯瞰で見た場合、ちょうど穴の位置に、日よけに付いていたポールがはまることがわかりました。これを基にエジプトの考古省の大エジプト博物館の責任者に説明して、ようやくガラスケースの中に入らせていただいて、精査して証明できたんです。

田澤 すごいやり取りですね。
河合 ただ、チャリオットの状態の問題もあって、実際に元の場所に付けることはできなかった。
それで何をしたかというと、東大生産技術研究所のコンピュータビジョンを専門とする大石岳史先生のチームにお力を借りて、3Dスキャニングをしたんです。そのデータを基にバーチャル・リアリティーで接合していただきました。その結果、両者がピッタリと付くことがわかりました。つまり、日よけだと思っていたものは、チャリオットの天蓋だったんです。
山花 とても面白いですね。
河合 大エジプト博物館はツタンカーメンのギャラリーがオープンして、本当の開館になるんですが、それは今年の7月3日に予定されていて、中にモニターのある部屋があるので、そこで今回の発見についても上映していただく予定です。ぜひ多くの方に見ていただきたいですね。
古代エジプト文化の魅力をどう伝えるか
山花 展示物もそうですが、やはり当時の物や技術を残す、復元するということは非常に意義があると思うんです。
技術はいったん失われると、取り戻すのは本当に大変なんです。私は自分の研究を通して、失われかけている工芸技術はどうにかして残す。例えば、後継者がいなければ、色々な記録媒体で残しておくことはとても大事なことだと思います。
河合 本当にそうですね。一見、古代エジプトのことは色々なことがわかっているような感じがありますが、実際はまだまだわかっていないんですね。
今、世界遺産の一部のサッカラという遺跡で調査をしているんですが、人工衛星の画像で見ても、ピラミッドや大型のマスタバ(墳墓)など、ごく一部しか調査はされていないんです。日本の学問は他分野もそうですが、戦後のある時期ぐらいまでは、欧米からの色々な情報を我々が吸収して学ぶということだった。でもこれからはそうではなく、自ら現地に行って、あるいは博物館に収蔵品があれば、実際に自分で手を動かしてよく観察して、今まで埋まっていなかったピースを埋めていくことをやりたい。
それは別に自分の関心だけじゃなくて、若い世代の人に古代エジプトの謎は解き明かすことができるんだということを実際に体験してもらいたいんです。
田澤さんと私は同い年で、日本には同世代のエジプト学者はたくさんいるんですが、やっぱりこの面白みを次の世代にも引き継いでもらいたい。現実にはなかなか大変ですが、研究を続けながら、次世代に啓蒙していく。そのきっかけになるような、色々な活動をやっていきたいと思っています。
田澤 私は大学ではなくて博物館という機関にいます。今後に向けた博物館人としての目標と、一研究者としての希望があります。
博物館人としては、とにかくエジプト学の裾野を広げたい。博物館でエジプトのワークショップをやると、本当にたくさんのお申し込みがあります。だから、ツタンカーメンじゃなくても、興味を持っている人は大勢いるし、特にヒエログリフは今、色々な教材があって、子どもたちも来てくれます。
ワークショップには大人向けと子ども向けの2種類のコースがあるのですが、今は大人のコースに入れる子どももいるくらいです。
山花 それはすごいですね。
田澤 そうやって興味を広げていくうちに、中学生や高校生も来る。その子たちがさらに興味を広げると、必ず「日本でエジプト学をやるのはどこがいいですか」と聞かれるんです。昔、我々が学生だったころはどちらかというと、考古学一辺倒なところがあったのですが、今は様々な分野に精通した方々がいます。
そこに1人でも多くの子どもたちを案内して、後進を育てられたらと思うんです。

河合 新しい世代がいないと、研究も発展しないですしね。
田澤 研究者としては、日本文化を身に付けた人間として古代エジプト人の世界を解釈したい。河合さんがおっしゃったように、特に我々が学生だったころは、エジプト学は輸入学問だったんです。
誤解を恐れずに言うと、ある種、クリスチャニティーが入った中での学問になっていた。でも、古代エジプトはクリスチャニティーの前なんですね。だから1つクリスチャニティーのバイアスを外したところで、例えば日本人の八百万の神とか、『古事記』の世界、神道の世界というところから考えてもいいわけです。
河合 確かに。その通りですね。
田澤 私が印象に残っているのは、イギリスのリヴァプールに留学した時、ある授業で祖先崇拝のことを扱ったんです。実は古代エジプトにも祖先崇拝があって、デル・エル・メディナという世界最古の社宅とも呼べるような職人たちの集合住宅では玄関を入ると、祖先の胸像を置いていたそうなんです。
そのことをリヴァプールの授業で先生が解説した時、現地の人にとっては新鮮だったらしいんです。イギリス人からすると、人は死んだらそれで終わりという感覚で、もちろん自分の親や兄弟を恋しく思う気持ちはあるけれども、崇拝ではないと。
山花 面白いですね。まさしく文化的な違い。
田澤 どちらがいい、悪いではないのですが、輸入学問から脱出して日本人の感覚で解釈をしたい。日本人の感覚で古代エジプト文化を解釈してみたいなというのが研究者としての目標です。
河合 今の環境なら、それも可能かもしれませんね。昔は本当に手探りで、独学でやるしかなかったので。
田澤 私もヒエログリフについてのスタートは独学でした。昔はヒエログリフの授業も誰かが手書きで写したものをみんな使っていたんですが、今だったら、なるべく高解像度の写真を見つけて「これだよ」と見ることができる。本当によい時代だと思います。
山花 今のほうが年齢問わず、むしろ勉強するチャンスが広がります。この座談会がきっかけの1つになってくれると嬉しいですね。
(2025年4月11日、慶應義塾大学三田キャンパス内で収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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