【三人閑談】
ツタンカーメンの謎
2025/06/25
ツタンカーメンにまつわる謎
田澤 ツタンカーメンの死因は色々と言われていますよね。血液の病気になったとか。
河合 マラリアにかかっていたんじゃないかとも言われています。ただあの当時、マラリアは普通にかかるので珍しくないんですよ。
山花 ミイラから内反足があったことはわかっていますが、あれは遺伝ですよね。
河合 遺伝ですね。最近は、チャリオット(戦車)に乗って落ちたのではないかと。それで足の傷が化膿して、状態が悪くなってしまったんじゃないかとも言われていますよね。
山花 あと、ミイラの心臓がなかったんでしたっけ。
河合 そうなんですよ。普通は残すんですが。
田澤 特に王家なら厳格なしきたりに従ってミイラを作っているはずなので、間違って取ってしまったということはあり得ないですよね。
ただ、亡くなったのが19歳と早かったじゃないですか。だから、それで急いでしまったのかなと。そのあたりはどうなのでしょうか。
河合 ツタンカーメンの墓の平面図を見ると、どうやらお墓も彼のために作られたものではないのではないかと。というのも、墓は明らかに拡張された跡があるんです。
つまり、元々は別の貴族のために用意されたものをツタンカーメンの埋葬にあわせて改造したと考えるほうがしっくりきます。
山花 急死だったからこそ、お墓も突貫工事になった。
河合 すごく急いで作ったというのはわかっていて、壁画にたくさん斑点が残っていたんです。これは彩色した時、乾き切る前に壁を封鎖してしまったため、湿度がものすごく高くなったから斑点のようなカビが発生したと言われています。
山花 お風呂と同じですよね。水分があるうちに蓋をしてしまったせいで、カビが生えてしまった。
田澤 だから、ツタンカーメンもそうですが、王のお墓は時期によっては閉められて観光客が入れないようにしてあります。観光客の呼気や汗で中が湿気ってしまって、カビが生えてしまったり、バクテリアが繁殖してしまうからです。
河合 こんなふうに急いでいたから、ミイラの制作も慌ただしくなってしまった可能性もあります。心臓も急いでいたせいで、間違えて取ってしまったのかもしれない。でもそれはあり得ないでしょう。
田澤 なぜ心臓を残すかというと、当時のエジプト人は頭じゃなくて、心臓がものを考えたり、言葉を言わせたりしていると考えていたからなんです。今の私たちは体が動くのも、脳が全部司っていると知っていますが、エジプト人は心臓が司っていると考えていたので、残さなくちゃいけなかった。
河合 それがないというのは、大いなる謎ですよね。
ハワード・カーターの功績
山花 ツタンカーメンを語る上で、発見者であるハワード・カーターの話は欠かせないですよね。
河合 もちろんです。ツタンカーメンに関しては、小さな遺物などで、その存在は知られていましたが、ちょうどカーターが王家の谷にやって来た頃、セオドア・デイビスというアメリカの実業家が発掘権を持っていたので入れなかったんです。
ただ、第一次世界大戦がちょうど始まる頃、お金が尽きてきたこともあり、デイビスは王家の谷は掘り尽くされたと言って去っていったんです。
デイビスの掘ったお墓に、先程お話ししたホルエムヘブ王のお墓があるのです。デイビスはこの墓の発掘報告書と一緒に、ツタンカーメンの墓の報告書を合冊した『ホルエムヘブとツタンカーメンの墓』という本を出版します。
この本の中で彼が言及したツタンカーメンの墓というのは、王の遺物の他に、彼の側近であるアイの物も入っている、それはとても小さな、墓とは言えないような竪穴だったんです。
田澤 でも、カーターの考えは違っていた。
河合 はい。王墓から少し離れた所にツタンカーメンのミイラを制作した道具や、葬式に使われた物が埋納された竪穴、専門用語でエンバーミング・カッシェといいますが、それが見つかる。
つまりちゃんと葬儀の証拠が見つかったんだから、もっと立派な墓があって当然だろうと、彼は考えたんですね。そして出資者のカーナボン卿からいただける資金が底を尽きる寸前、目を付けたのがラムセス6世の墓だったんです。
山花 本当に奇跡的なタイミングですよね。
河合 ええ。ラムセス6世の墓の前には職人たちが休憩をしていた小屋があったのですが、まさか墓の上に小屋を建てるなんてありえないと、その下の空間は見逃されていた。けれどカーターはそこにこそツタンカーメンの墓があると思った。そして王墓を見つけたのです。
田澤 本当によく見つけましたよね。元々、彼は考古学者ではなかったんですよね。
河合 彼は画家だったんです。お父さんが画家で、お父さんから絵の描き方を習い、たまたまリヴァプール大学のパーシー・ニューベリー教授に声を掛けられて、17歳の時にエジプトに連れて行ってもらった。
当時は、今のような写真技術が発達しているわけではないので、模写をする専門の画工を連れて行くんです。エジプトを調査すると壁画をはじめ、色々な遺物が出てくるので、それをきれいに記録することがすごく重要だったんです。
田澤 画家でもあり、記録係でもあった。
山花 カーターの記録はものすごく精密です。私たちは発掘現場で、どこに何があって、どんな形状をしているかというのを必ずフィールドノートに残すのですが、私には絶対に描けないなと思うぐらい精密な図面を描くんです。あれは驚きます。
河合 本当に精密ですよね。
山花 考古学のトレーニングだけやっていても絶対に無理です。画家としての目を持って描いている。それだけではなく、全部を写真にも記録するし、1つ1つ取り上げて丹念にメモを残してくれたおかげで、今、私たちがすごくたくさんの遺物を研究できるようになっています。
魅惑のツタンカーメンマスク
河合 ツタンカーメン自体もミステリアスな存在ですが、彼のマスクもまた謎が多いですよね。
山花 そうですね。特にマスクに使用されているガラスに関してはものすごく謎が多いんです。エジプトにガラスが初めて来たのは、ツタンカーメンより6代前ぐらいの王の時で、それまでガラスは西アジア、メソポタミア周辺にはあっても、エジプトにはなかったんです。
ガラスについてエジプトは後進国だったので、どうやって作っていいかわからない。ただ、エジプトは金を産出する国ですから、他の地域に金を輸出して、それと引き換えにガラスを得ていた。
田澤 それだけガラスが重要だったんですね。
山花 黄金のマスクというのは、エジプトの歴史の中でいくつかあるんですが、その中でもツタンカーメンのマスクの工芸は最も水準が高いんです。
作り方は鍛金といって、金を叩いて延ばしているのですが、厚みは1.5から3ミリありました。今日流通している10グラムの純金のインゴットの厚みが約1.8ミリですから、比較してイメージできますね。その分厚い金の板の上に色々な装飾を施しているんです。
ガラスは頭巾の部分や、襟飾りなどに使用されているのですが、科学分析をしたところ、青色着色剤を添加したガラスとされています。
田澤 マスク1つ作るのに、様々な技術が結集しているんですね。
山花 そうなんです。あと、顔の部分と他の部分で金の純度が違うんです。それも、どうやら表面だけ違うんですよ。顔の部分は18.4から23.2金と純度が一様ではなく、頭巾の部分は23.5金、つまりほぼ純金だということです。
河合 今、映像などで見るマスクは非常にきれいですが、発見当初は大変だったんです。黄金のマスクはミイラに付けられていたのですが、その外側には110キロぐらいの純金の棺があって、マスクと棺の間には黒色の樹脂が固まっていたのです。
カーターがそれをメスみたいな物を使って一生懸命きれいに取り除き、それがトータルでバケツ2杯分あったと。
山花 気が遠くなる作業ですよね。あと元々マスクが発見された時についていた大きなネックレスや王笏(おうしゃく)などは現在、取れてしまっています。
だから、今見るマスクと、発掘された当時のマスクでは、見た時の印象が大分違います。発掘当時のマスクは王があの世に旅立つために必要なすべての持ち物を身に着けていましたが、現在のマスクは王としての象徴的な飾りが取り去られています。
河合 20世紀に作られたアイコンみたいな感じですよね。発掘されて展示されると、本来の文脈から切り離されて、それが新たなイメージとして一人歩きしてしまって、人々の中では黄金のマスク=ツタンカーメンとなってしまう。
山花 そうですよね。一度、イメージが定着してしまうとなかなか変わらない。
それから、ツタンカーメンのマスクは内側から見ると構造がよくわかるんです。表と裏の部分をちょうど真ん中で継いでいる構造をしています。ロウ付けというのですが、金と金を付ける時に若干銅を混ぜて熔着するんです。他の時代にも黄金のマスクはありますが、それらは1枚の金板から顔と頭の前面部分を叩き出しただけです。だからツタンカーメンのマスクは古代エジプト史上最も手の込んだ金工芸だと思います。
田澤 本当に複雑な作りですよね。
山花 制作工程についてですが、まず金の板からマスクの前と後ろの部分を叩き出し、そしてロウ付けをして熔着します。その後、表面の装飾を施すのですが、現代でも作り方がよくわからないのが頭巾の縞模様の青ガラスの部分です。頭巾はとても複雑な形状をしていて、鋭角的に折れ曲がっているところもある。しかし、青ガラスは角の部分で切れることなく繋がっています。
いくつか仮説はありますが、そのうちの1つは黄金のマスクの頭巾の溝部分にガラスの粉を充填して窯に入れ温度を上げる。ただし、ここには問題があって……金の融解温度よりもガラスが熔ける温度の方が高いので、ガラスが完全に熔ける前に金が熔けてしまう。ガラスに混ぜ物をして熔ける温度を低くしても、ドロドロになったガラスは重力に従って垂れてしまって、ガラスは一定の厚みにはならない。しかしマスクの青ガラスは8ミリ前後で均等な厚みです。
もう1つ考えられるのは、マスクと同じサイズで石膏の合わせ鋳型を作り、頭巾の溝部分に粉ガラスを充填して窯に入れ温度を上げて熔かすのですが、ガラスはゆっくりと熱を冷まさないと割れてしまうので、出来上がるまでに数週間はかかります。
河合 そんなにかかるのですか。
山花 石膏型の中のガラスを十分に冷ました後は石膏型を壊して中のガラスを掘り出すのですが、掘り出した後のガラスは表面がザラザラしているので、それをピカピカになるまで研磨して、出来上がったガラス装飾を黄金のマスクに貼り付ける、という説もあります。しかし、これも現実には不可能です。

© Nozomu Kawai
日本におけるツタンカーメン人気
田澤 これだけミステリアスな存在のツタンカーメンですが、日本でも人気は高いですよね。1965年には東京・福岡・京都の3会場でツタンカーメン展が開催されましたが、総入場者数が約293万人。2012年に上野の森美術館、大阪・天保山特設ギャラリーで開催されたツタンカーメン展も約208万人が訪れています。
山花 今、横浜みなとみらいで開催されている「MYSTERY OF TUTANKHAMEN」展(12月25日まで)も人気ですよね。すごく精巧なレプリカが展示されている。あれはよくできていますし、1つ欲しいなと思う(笑)。
河合 日本に限らず世界的に人気ですょね。だって、こんなお墓、普通ありえないですよ。5000点以上の副葬品が収められているだけでも驚きなのに、それがほぼ未盗掘で残っていたなんて。今から3400年ぐらい前のものがですよ。そして、使われている技術もすごく高い。信じられないような物がたくさんあるというのはやっぱり興味が尽きないんじゃないですか。
田澤 私はヒエログリフの研究をしていることもあって、漢字文化と実はすごく近いところがあると感じますが、一般の人はあまりにも自分たちの日常から離れ過ぎているから、遠過ぎて知りたくなるんじゃないですか。
また、時代を比較した時、この時期の日本は縄文時代ですから、あの時代にこんな物が作れる人たちってすごいね、という気持ちもあるかもしれないですね。
山花 ある種の敬意もあるかもしれませんね。
田澤 メソポタミアだってこれぐらいすごい出土品が出てきたら、たぶん同じぐらい人気だったと思うんです。でも、出てきた物はそうそうないですよね。まず色があまりない。やっぱりエジプトは壁画にしても何にしても華やかですよね。
山花 やっぱり金には惹かれますからね。
田澤 人間の本能といいますか。
河合 装身具とか、ジュエリーの類いでも、今、ジュエリーショップに置いてあってもおかしくないぐらいの物じゃないですか。
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