【三人閑談】
ツタンカーメンの謎
2025/06/25
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田澤 恵子(たざわ けいこ)
公益財団法人古代オリエント博物館研究部部長、慶應義塾大学言語文化研究所講師(非常勤)。
英国リヴァプール大学大学院にてMA、Ph.D.を取得。専門は古代エジプトの宗教と神話。 -
山花 京子(やまはな きょうこ)
東海大学文化社会学部教授、慶應義塾大学文学部講師(非常勤)。シカゴ大学人文学部MA、東海大学論文博士(文学)。専門は古代エジプト考古学。特に美術工芸史やガラス質物質を専門とする。
古代エジプト文化との出会い
河合 今年はツタンカーメンのマスクが1925年に発見されてから100年という記念すべき年ということもあり、今日は楽しくお話しができればと思います。山花さんはいつからエジプトにご関心が?
山花 16歳の時にアメリカに行ったことが1つのきっかけです。現地の学校へ通ったのですが、当時はまったく英語が話せなかったので、補習クラスに入れられたんです。そこで、図書館の中で何か1冊だけ好きな本を選んで、その感想を書きなさいという課題があって。その時、最初にパッと目に入ったのがツタンカーメンの本だったんです。
田澤 そこからエジプトに興味を持たれたのですね。
山花 その時は関心はありましたが、のめり込むほどでもなかったんです。ただ、しばらくしてオハイオ州立大学のサマーコースを受講することになりました。すると西洋史のコースの中に「アクティウムの海戦」というタイトルのものがあって。それはツタンカーメンとは関係はないのですが、クレオパトラとマーク・アントニーとオクタビアヌスの三者の最後の決定的な海戦だったんですね。
そのコースの西洋史の先生が、何千年も前の話なのに、まるで昨日のことのようにお話をする。非常に話術が巧みで、それで一挙にクレオパトラの時代、古代エジプトに引き込まれたんです。
河合 まさに運命の出会いだったのですね。
山花 それから日本に戻ってくる前に、シカゴで大学院生活を送りました。その時は、クレオパトラの研究に携わっている専門家が周りにはいなかったんですが、やはりエジプトに関わることをやりたいなと思って、古代エジプトの研究を始め、現在に至ります。今は考古学、中でもガラスなどの美術工芸のほうに重点を置いた研究をしています。
河合 私は古代エジプトと出会ったのは小学1年生の時です。当時、NHKの「未来への遺産」というドキュメンタリー番組で、ピラミッドやツタンカーメンなどのエジプトの特集があって、それを見たことが1つのきっかけでした。
また、私はヒーロー番組も好きで、ウルトラマンや仮面ライダー、ジャイアントロボなども見ていたのですが、ツタンカーメンも私にはヒーローに見えたんですかね。ジャイアントロボって、もう顔がツタンカーメンじゃないですか(笑)。
田澤 そっくりですよね。
河合 これ、いったい何なんだろうって。僕は子どもだから勘違いして、古代文明にヒーローがいたんじゃないか。そう思って興味を持ちました。
山花 ヒーローへの思いが、古代エジプトに繋がったのですね。
河合 その後、たまたま家の近くの本屋さんで、講談社の青い鳥文庫『ツタンカーメン王のひみつ』という本を父親に買ってもらったんです。すごくはまってしまって、何回も読み返しました。
ちょうどその頃、私の恩師となる吉村作治先生がテレビに出始めて。日本テレビの木曜スペシャルで10分の1の大きさのピラミッドを作るというのをシリーズで毎週やっていたんです。それもくぎ付けになって、友達と石にロープを結び付けて引っ張るまねをしたり。そういうバカなことをやっていた少年が、そのまま成長が止まって、ずっとエジプトを追いかけ続けた結果、こうなったという感じです(笑)。
田澤 お2人の話を聞いて、私も自分の記憶を探っていたのですが、1つ、きっかけとなったのは小学校6年生の時に流行っていた旺文社の『ハイトップ』という参考書です。そこの古代エジプトに関するページに出てきたのがクフ王のピラミッドで、それを見た瞬間に「これだ!」と思ったのが、エジプトに興味を持ったきっかけです。
山花 ピラミッドがきっかけだったんですね。
田澤 でも、そこに行くまでの前段階があるんです。小学校の図書館に「あなたの知らない死後の世界」というコーナーがあって、心霊写真の本などを置いていたんです。そこから「人の想い」というものに興味を持ち、それが6年生の時に花開いた感じです。
山花 人の想いというものに、強い興味があったということですか。
田澤 別にネガティブな意味ではなくて、この世に想いを残すとか、誰かを良くも悪くも思う気持ちって何だろうという疑問がずっとあったんです。そんな時、『ハイトップ』でクフ王のピラミッドを見て、人の想いが凝縮したものと感じたんです。それで一気にエジプトに惹かれるようになりました。
私の専門はエジプトの神話と宗教になるのですが、授業でも学生たちに話すのはエジプト人のアイデンティティについてなんです。エジプトの神話には、様々な要素が詰まっていて、メソポタミアや、日本と似たものも含まれている。そうして比較してみると、エジプト人のアイデンティティや、彼らが自分たちをどう思っていたのか、ということがわかってくる。
それにエジプトには工芸品や遺跡・遺物、建築物などの資料が数多く残っているんです。そこに込められている彼らの想いを解き明かしたい、それが今の自分のモチベーションになっていますね。
古代エジプト文化の醍醐味
河合 田澤さんのお話にあったように、古代エジプト文明の魅力として資料が膨大にある点が挙げられます。だから、文字を読むことによって、当時の人々はどのように世界を見たのか、ということがわかる。
エジプト学の場合は、考古学をやる人も文字の習得が必修なんです。他の地域だと、文字を研究する人と物質文化を研究する人は分かれてしまっていることが多い。
田澤 エジプト学はその辺り、重複している部分が多いですよね。
河合 エジプトには壁画がたくさんあるのですが、壁面に描かれている文字と図像は互いに補い合って意味を伝える役割を持っていて、彼らの世界観や精神性を理解するためにも、文字がわかっていないといけない。
文字を知らずに、ただ普通の考古学のやり方でやっていたら、意味がわからなくなってしまう。
田澤 当時の人々の意図を読み取れないですよね。
河合 そうそう。そこが魅力というか面白みだと思います。
田澤 西アジアの研究に携わっている方で、現地に行かない方もおられます。カルチャースクールをやってる知り合いの先生が生徒さんに「先生、何回ぐらい現地に行ってらっしゃるんですか」と聞かれたそうなのですが、「困っちゃったの。私1回も行ったことないんだもん」と言っていたのが印象的で。そういう方は割と多いようです。
だけどエジプトは行かないとわからない。
山花 現地に行くことは本当に重要ですよね。
田澤 そうです。エジプトは工芸品の形、遺跡の形、図像の形、すべてが文字なんです。そして、すべてに隠れた記憶がある。だからそれを知るには、やっぱり現地に行って、どんな場所なのか。こういうところで古代人たちはいったい何を考えたのかと、考える必要があるんです。
ツタンカーメンとはどんな王だったのか?
田澤 今でこそ有名になりましたが、ツタンカーメンはかなり特殊な王様ですよね。
河合 彼はエジプトの新王国時代、古代エジプト文明の中で最も繁栄した時代の王です。お父さんがアクエンアテンといって、それまでエジプトでは八百万(やおよろず)の神々を信仰していたのを新たな太陽神、アテン神のみを崇拝する一神教へと宗教改革をした王として知られています。
ただ、あくまで王権としては一柱の神だけを信じるということで、庶民は従来の神々を崇拝していたので、完全な一神教とは言えないのですが。
山花 ツタンカーメンは、そういう革命的なことをやったお父さんの後で現れたファラオ(王)ですよね。
河合 ただ、そのこともあって、ツタンカーメンとアクエンアテンの名前は王名表から消されてしまったんです。王の継承順では、ツタンカーメンの祖父に当たるアメンヘテプ3世、次に父のアクエンアテン、そしてツタンカーメン、その後を継いだのがホルエムヘブとなります。
しかし、ツタンカーメンの約110年後に王位に就いた、ラムセス2世時代の王名表ではアメンヘテプ3世からホルエムヘブの間の王名が消されてしまっているんです。そのためツタンカーメンも、長らく無名の王様だったんです。
田澤 記録から抹殺されてしまったんですよね。
河合 ただ、ツタンカーメンの名前を記した遺物は19世紀、20世紀の発掘で見つかっていました。例えば指輪のカルトゥーシュ(王名枠)内にはツタンカーメンの名があって、王名表にはないけれど、そういう王がいた、ということはわかっていたんです。
山花 王墓が見つかってからですよね、有名になったのは。
河合 王墓が見つかったことで、一番有名なファラオになってしまった。今ではツタンカーメンを取り巻く関係者についても、色々とわかってきています。
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河合 望(かわい のぞむ)
筑波大学人文社会系教授。
早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了、米国ジョンズ・ホプキンス大学大学院にてPh.D.を取得。35年以上にわたり、現地での発掘調査に従事。専門はエジプト学、考古学。