三田評論ONLINE

【三人閑談】
アフリカの動物と自然

2022/04/25

動物保護への動き

ヒサ それで現在、ケニア国内はいろいろな動物保護区が設定されています。1つの保護区が日本の県くらいで、広いところだと四国ぐらいの広さがある。昔はオフロードで自由に入れたんですが、篠田さんが行かれた頃は、だいぶルールが厳しくなっていたでしょう?

篠田 そうですね。ケニアは南アフリカに比べると、まだ緩い感じはしますけど、オフロードは厳しいです。またチータープロジェクトとかWWF(世界自然保護基金)とか、現地に保護団体が入っていて、サイなどの希少動物はちゃんと保護していこうという動きがあるということは感じますね。

ヒサ 動物と一定の距離以上離れていないといけないとか、いろいろルールが厳しくなりましたね。

またバルーンも制限しようという動きがありますね。動物を脅かすからというので。

神戸 すごい音がしますよね。

ヒサ そう。篠田さんはバルーンは乗りました?

篠田 まだ乗ったことはないです。

ヒサ 下から見ていると、うるさくてあんなに腹の立つものはないんだよね。ところが、乗ると、あれはびっくりする。まず、けもの道がはっきり見えるわけ。それがパリの地図みたいなんだよね。蟻塚の高いところがランドマークで、そこから全部放射状に道がつながっていて、そこをジャッカルやガゼルが歩いていたりして本当に面白い。

木の梢に鳥の巣があるのが真上から見えるわけ。これは禁断の光景です(笑)。朝もやの中をスーッと空気と一緒になって移動していくのが気持ちいいし。

神戸 マサイマラだと、早朝の5時頃からワーッと、方々のロッジから何十機ものバルーンが浮き上がります。

ヒサ 着地は風があるとハードランディングで面白いんだよ。かごが横倒しになって引きずられて、周りにライオンはいるし、どこに着地するかわからない。

「生命が近い」経験

ヒサ サバンナは季節によっても、1日の時間帯によっても、景色も動物の顔も違うと思うのですが、篠田さんは撮影でどんな苦労や面白さがありますか?

篠田 撮影を始めたきっかけの一つに、自分が生きている感じを実感できないみたいな感覚がずっとあったんですね。日常のルーティンの中で、命を感じる瞬間がすごく少ないと思っていて。

ヒサ 日本みたいな環境にいると、本当にないよね。

篠田 初めてケニアに行った時、マサイの村で同い年ぐらいの子と仲良くなったんです。彼に歓迎にヤギを焼いてやると言われ、僕はてっきりカットされた肉を焼いてくれるのだと思ったら、ヤギを丸々一匹、木に刺して丸焼きにするんです。

ヒサ それは大歓迎だ。ご馳走だよ。

篠田 周りの人もワーッと集まって来て。そういうことがすごく「生命が近い」感じがしたんです。野生動物を見ていてもそうです。生命をすごく身近に感じられるのが面白くてしょうがないです。

ヒサ 生命を感じる写真を撮って、それを人に伝えたいと。

今、日本で若い人が海外に興味を持たないとよく言われますが、どうしてなんでしょうね。

篠田 僕もそうでしたが、小さい頃からネイチャードキュメンタリーなどをテレビで見て、何となく知っている感じがあったり、情報も入るからかもしれません。

でも、動物園とかで見て何となく知っている気持ちで現地に行ったら、本当に殴られたみたいな感覚で、全然違うのだなと。動物の目の輝きもまったく違いますし。

ヒサ 目の前でライオンがグシャッと獲物の内臓を千切ったりとかね。

篠田 写真で食べていこうと思って、初めてケニアに行った時に、若いチーターが狩りをしてガゼルを仕留めたのですが、若いので仕留めきれなくて、生きた状態でお尻から食べ始めたんです。

ガゼルはずっと鳴きながら、チーターが内臓を食べ、だんだん絶命していく。目の前で生命がなくなっていく瞬間を見たのは、自分の中ですごくショッキングで……。

ヒサ 直接間近に見るわけだからね。ライオンがイボイノシシの雌を捕まえて食べていたら、お腹の中から胎児が出てきた。そうしたらそれを嬉しそうに……。

篠田 柔らかくて、おいしいのですよね。

ヒサ 人間はライオンに感情移入したり、獲物のほうに感情移入したり、どちらにも感情移入できる。だから、獲物がかわいそうと思ったり、ライオンが狩りに失敗すると、かわいそうと思ったり。でも、それこそ皆、自給自足でそうやって何百年と生きてきているんですね。

例えば、シマウマなんかはいつも元気な群れですよね。それは、つまり常に世代交代しているわけです。年を取ったり、病気になったり、ケガをしたりすると、全部ライオンに食べられてしまう。ある意味、ライオンに老人問題を全部託して、シマウマの群れはいつも元気でいる。弱肉強食と言うけれど、草食動物の強(したた)かさみたいなものも感じさせてくれるんですね。

インパラを狩るヒョウ。2021年撮影。©篠田岬輝

動物保護と経済

ヒサ 神戸さんは普通ではない経験をいっぱいされていますよね。それこそ、ゾウやサイに麻酔をかけて、保護区から別の保護区へ運んだり。ゾウを群れごと何十頭も移すのは、上手くいくのですか。

神戸 KWS(ケニア野生動物公社)による、密猟を防ぐための移動作戦です。大変ですよ。途中で死んだり、放した後もその土地にきちんと適応できるのか。200キロぐらい離れていても歩ける距離なので戻ってくるものもいますから、途中で交通事故で死んだり、撃たれたりもします。

ヒサ 人間が保護したり、移動させたりするというコントロールは、自然に対して可能なものなのですか?

神戸 可能と思うしかないのではないですかね。欧米の人はガソリン代や麻酔代を寄付するし。するとケニア人は動物保護のためにいろいろやりますよ。

ヒサ ケニア国内の保護の体制の問題がありますね。30年以上前ですが、メルーで最後のシロサイが6頭ぐらい守られていて、レンジャーが保護していた。ところが上の人がアラブの王様に買収されて、レンジャーたちが命令で出張してしまった隙に、6頭全部殺されてしまった。

そういう国内の汚職体質というのは、格差があるとどうしようもないことなのでしょうか。密猟もそうです。象牙などのお金目的の密猟と、ブッシュミート(野生動物から得る食肉)のための罠はどうすればいいか。野生動物との共存の意識が高まるなか、これから格差がなくなってルールを守るようになるのか。動物がいたほうが外貨が入るという面もあるし。

神戸 なかなかそういうことが理解されないみたいですね。でも、今は動物保護を言うケニア人はたくさんいますよ。密猟者は駄目と。基本的に動物が好きな人もたくさんいるし、少しずつ動物を守ろう、となっているのではないでしょうかね。

2017年、KWSの元総裁で人類学者のリチャード・リーキー博士(本年1月逝去)が中国の援助を受けてナイロビナショナルパークのど真ん中に鉄道をつくってしまったのですよね。リーキーさんこそ野生動物を守れと音頭をとっていた人なのに、中国の一帯一路政策に負けてしまったと、皆がっかりしていましたね。

ヒサ できる前は反対運動もあったけど、いざできてしまうと、モンバサへ行くのに便利だと評判ですね。動物を守りたい、共存したいという意識を持ってもらうことと一国の経済との両立は難しい。

動物がいなくなったら誰が困るか?

ヒサ 以前、ラジオの「こども電話相談室」という番組に出ていて、子どもに聞かれて一番困ったのが、「トラやゾウを保護しろと言うけど、いなくなって困る人がいるのですか」という質問です。だって、現地では害獣だったり、インドでも畑を襲うトラは危険だし。なんて答えたらいいと思います?

篠田 やはり生態系のバランスが、みたいなことでしょうか。

ヒサ 生態系の話とか、森の話、植物と草食動物、肉食動物の関係を説明することはできる。でも、それが「なぜ守らなければいけないのか」ということに、なかなかつながらないですよね。

つまり、当たり前のように野生動物と共存することはいいことだ、と言っても、例えば日本でもニホンザルが出てきて畑を荒らしたり、クマが出てきて人がけがをすると、すぐに駆除するではないですか。その一方でアフリカの現地の人がヒョウに嚙まれても、ヒョウを守れと言うのかという話になりかねない。

野生動物と一緒に人間は暮らしてきて、それを利用することが人間の文化だった。例えば象牙で緻密につくった彫刻は硬いのに割れにくい。そういう意味ではすごい素材で、優れた芸術を生み出している。これは量の問題とも言えて、自然に死んだゾウの象牙で本当は賄える。でも、目の前のものが欲しいと、殺してしまう人がいるから問題なのです。

だから、象牙取引を全部禁止してしまう。すると、今は日本国内で誰かが死んで、遺品の中に古い象牙製品があったとしても、その売買ができなくて捨ててしまって残らない。「何のためにどうするのか」という部分がないと、トラがいなくなったら誰が困るか、という問いに答えられないんです。

神戸さんの50年の経験は、日本人が経験していないようなものと思うのですが、こういったことはいかがですか。

神戸 マサイなんかは結構共存していますよね。マサイは、そばにライオンがいても、食べられなければいいと言います。そういう共存みたいな考えが、ケニア中、あるいはアフリカ中にあった。そんな社会に戻ればいいですね。

ヒサ でも、広大なプランテーションみたいなものを鉄条網で区切って、いまだに領主がいます、みたいな場所があるじゃないですか。すると、それはやはり経済構造というか社会構造の問題だよね。

篠田さんはマサイの集落に泊まったことはありますか?

篠田 マサイの友達の家に泊まったことはありますが、石づくりでした。もともとマサイは移動するので、あまり石の家はなかったのに、最近は増えているようです。

ヒサ 今は政府が定住政策を進めているから。そうしないと税金も取りにくいし。

篠田 そうですね。僕はまだ8年くらいしか通っていないのですが、ここ数年、囲いのある家がすごく増えたとは思います。

伝統文化との折り合い

篠田 先ほど神戸先生がおっしゃっていたように、マサイの若い世代の人たちの間では観光資源としてもそうですし、愛着を持って、動物を保護していきたいという人が増えているのは感じます。マサイの友達のお祖父さんの世代は、ライオンをやりで何頭殺したみたいなのが武勇伝だったりするんですが。

ヒサ それはマサイの戦士になるための必要な儀式だったからね。

神戸 おっしゃったように、マサイマラでも地域を自分たちで管理するコンサーバンシー(管理局)が増えていますね。うちの近所にもいくつもありますよ。

それから、私たちのように他所から来た人間が嬉しそうに動物保護をしていると、向こうもやる気になるようです。小屋を建てて、そこに学生が行ってレンジャーみたいな体験をするものもよくあります。日本人の大学生でも嬉々として夏休みにやっている人がいます。

ヒサ そういうものを世界的なスタンダードとして共存したり、大事にしてくれるという価値観が若者の間に広がればいいですね。

昔はシンバ(ライオン)をやっつけるのは戦士の通過儀礼みたいなものとしてやっていましたよね。

神戸 いまだにやっています。

ヒサ そういう伝統文化と、現状との折り合いはどうなのですか。

神戸 マサイ自身がこんがらがっているのではないですかね。だけど、そもそも、マサイには害獣だから殺せという気持ちはないですよね。

ヒサ ライオンをやっつけるのは、大人になる証しですからね。

神戸 今はライオンの数とマサイの人口が釣り合わないのです。だから、9というのがマサイのラッキーナンバーなので、9人で1頭を殺せば、皆がライオンを殺したことにします。19人でも29人でも1頭を殺すと、「俺はライオンを殺したぞ」ということにし、それで儀式を通過する。

ナイロビに近いところだと、そもそもライオンが捕りつくされて、いない地域もあります。するとライオンの毛皮をマサイのやりで突いて、よかったねということになる。

すると、マサイの戦士自体がライオンから家族を守ることに誇りなどを持たなくなってしまっているわけですよね。しかし、それは近代化が進んでいるから、しょうがないのではないですかね。

ヒサ 最近はマサイもケータイを持っていたりするけど、今は皆マスクをしていると聞いて驚いてしまって。あんなに広々としたところで。

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