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KREVA:ラップで日本語の可能性を探究
2024/07/12
同級生を見返そうとSFCを志願
──慶應を選んだのはどのような理由だったのでしょう。
KREVA 高校2年生の時、同級生に「まだ受験勉強始めてないの? そのレベルで大学行けるわけないじゃん」と言われたんです。それでムッとして大学ランキングを調べると難関1、2位に慶應の総合政策学部と環境情報学部がありました。「よし、ここに合格して見返してやろう」と猛勉強したんです。
結果、環境情報学部に合格し、彼のほうは早稲田に受かって握手して別れました(笑)。SFCのAO入試制度を知ったのは随分後のことです。それを知っていたらラップのフリースタイルで出願していたかもしれません。
──SFCではどのようなことを学んでいたのでしょう。
KREVA 卒業後に音楽をやろうと最初から決めていたので、大学には1年生から一生懸命通っていました。当時は佐藤雅彦先生がSFCで教えておられ、その講義がとにかく面白かったです。例えば、佐藤先生がCMを手がけた〈ポリンキー〉。このキャラクターができるまでという内容で、60体くらいの候補から3体に選ばれるまでの過程を聞かせてもらったのは強く印象に残っています。
一番覚えているのは、レポートをハガキ1枚で提出する課題です。たくさん調べてたくさん書くのではなく、それをハガキ1枚で表現しなさい、と。見出しの付け方や要約の仕方など、ただのレポート課題とは違い、とても刺激的でした。
この頃のSFCにはセルジオ越後さんも体育の先生として来られていました。毒舌のサッカー解説は評判が良くなかったのですが、一緒にサッカーをやったらめちゃくちゃ上手かった。圧倒的なスキルでねじ伏せられ、毒舌もダテじゃないと知りました(笑)。
──大学っぽくない授業ばかりですね(笑)。
KREVA 同級生も少数精鋭という感じでした。塾高出身者が比較的多く、皆面白いことをやろうという気風がありました。大学に通いながら高校から始めたラップも続け、2年生の時に最初のレコードをリリースしました。
──デビューされて間もなく、今度は3人のラッパーで結成したキック・ザ・カン・クルーでも活動を始められ、やがて紅白歌合戦に出場するなど、知名度は全国区となります。このグループはどのように結成されたのでしょう。
KREVA 過去に発表した音源を聴いた人からレコーディングに誘ってもらったのです。当時、ラップのイベントに一緒に出ていたメンバーに声をかけ、「カンケリ」をテーマに曲をつくろう、と呼びかけました。そこから周囲に「カンケリの人たち」と呼ばれるようになったことが「キック・ザ・カン・クルー(以下、キック)」というグループ名の由来です。
──言語学的な視点からもお聞きしたいと思います。90年代のラップは単語単位で韻を踏むのが標準的だった中、キックはより長いフレーズで韻を踏んでいてとてもオリジナリティがありました。
KREVA そうですね。とくにキックのメンバーのLITTLEは同音異義的に、母音に分解した時の律をきれいに揃えてラップをします。それに対して自分は「ねじ伏せ」と呼んでいますが、例えば、英語と日本語の組み合わせのように、聴こえ方が似ている言葉を見つけてラップの力で同じ韻に聴かせることにトライしていました。
──私はキックの代表曲「イツナロウバ」を初めて聴いた時にすごく衝撃を受けました。歌詞の中で「イツナロウバ」と「(次の季節が)見つかろうが」で韻を踏んでいます。これこそ英語と日本語の組み合わせですね。
KREVA そうですね。「イツナロウバ」は夏がテーマの曲で、タイトルの語源は「夏は終わらない」という意味を込めた「It’s not over」です。この発音を、いわば「掘った芋いじるな(What time is it now)」的に英語っぽいカナ表記にしています。おそらく「イッツノットオーバー」と言うよりも「イツナロウバ」のほうがネイティブに通じやすい。こうした揺らぎが日本語として面白いと思い曲名にしました。
授業型エンターテインメントとは
──今年4月と5月に「授業型エンターテインメント」と銘打ち、「KREVA CLASS【新しいラップの教室】」を開催されました。「授業型」とは具体的にどういうものなのでしょう。
KREVA 「KREVA CLASS」は脚本・演出を小林賢太郎さんが手がけており、基本的には全編コントです。教師役のKREVAが舞台上でラップのライミング(押韻)やターンテーブル(レコードプレイヤー)の歴史について授業をする。こうした劇が1つの学校として成り立つようなステージです。
賢太郎さんにはこれまでキックのCM演出を依頼したり、逆にNHKの番組「小林賢太郎テレビ」でコントに出演させてもらったりしていました。実は賢太郎さんが演出を手がける舞台にはこれまでほぼすべて足を運んでいます。それほど尊敬する賢太郎さんと一緒に舞台を作ってみたいという気持ちが高まり、それが今年ついに実現しま した。
──KREVAさんはラップやDJのパフォーマンスだけでなく作曲にも携わり、俳優としても活動する「何でもできる人」の印象です。なぜコントだったのでしょう。
KREVA ラッパーとしてライブハウスやホールでライブをするだけでなく、自分が立てるステージの幅を拡げたいと思ったからです。「KREVA CLASS」は4月に神奈川芸術劇場で公演を行いましたが、ラッパーのイベントに使うには珍しい会場です。ですが、賢太郎さんとなら芸術劇場でも可能なパフォーマンスの形があるはずだと思えたこと、自分自身の中に日本語を楽しむことをアーティストとして追究したい気持ちがありました。
──ラップの授業というと、2008年の曲「あかさたなはまやらわをん」が思い出されます。「韻を踏むとはこういうこと」というのをまるで幼稚園児にも伝わるようにわかりやすく歌った曲でした。
KREVA そうですね。そういうわかりやすい曲を作りたい時期が定期的に訪れます。でも、実はみんなにとってわかりやすいものをかっこよくやるのはすごく難しい。
──「みんな」と言う時にどういう相手を思い浮かべますか。
KREVA ラップに全然興味のない人たちです。これまでにいろいろなステージに立たせてもらう中で、「KREVAって誰?」と思われることもありました。そのたびに、ラップを知らない人たちにも届くような言葉選びや発声を心がけてきました。
「KREVA CLASS」でも、ラップのフロウ(歌い回し)や強弱の付け方など、しゃべり方の癖を賢太郎さんからすごく指摘されました。「……だよね」と言う時には、劇場の一番後ろの席の人にもわかるように、語尾の「ね」の口の形を残すようにする、など。舞台演出のプロならではの細かい指導を受け、とても勉強になりました。
賢太郎さんも同音異義の感じで韻を踏むのが上手い人で、「KREVA CLASS」の台詞もほぼすべて賢太郎さんが書いています。台本の中にも韻を踏んだ台詞が多く登場します。賢太郎さんとは日本語の使い方を探究しているところに共通点を感じますが、自分にはないものを持っているとも感じます。
コント的なものはこれまでライブでも取り入れてきましたが、今回は間の取り方や言葉の発し方など、それを生業にしているプロの人に教えてもらったことで全然違うものになりました。こうしたやりとりの結果、ラッパーがお笑いをやってみたという水準よりもはるかにレベルの高い本気の舞台をつくることができたと思っています。
やらなかった気持ちを残さない
──慶應には言葉への関心が強い学生やエンタメ業界に進みたい学生も多くいます。何かメッセージをいただけますか。
KREVA 学生のうちは論文を書いたりリサーチをしたりといったことが、自分のやりたいことと関係がないように思えるかもしれません。でも、「やろうと思えばできること」はできるだけやったほうがいいと思います。こうしたことが将来どうつながっていくかは本当にわからないからです。
というのも、学生時代にコンピューターを使ってチームで映像と音楽をつくるという課題が与えられた時、せっかく仲間が誘ってくれたのに、音楽活動が忙しいのを言い訳にして真剣にやらなかったんです。そのことを今でも少し後悔しています。もう少し積極的に大学に関わる気持ちがあれば、今より良い位置にいられたかもしれないという思いがある。
それは、自分の将来に役立つかどうかとは関係がないかもしれませんが、大事なのはやれたのにやらなかったという気持ちを残さないことです。
──KREVAさんはラッパーの中ではすでにベテラン世代だと思います。今後アーティストとしてさらに成熟するためにどのようなイメージを描いておられますか。
KREVA ラップがもっと上手くなりたいという意識は今も昔もそれほど強くはないんです。やりたいからやり続け、その結果上達しているという感じです。
その一方で、2022年にはKing & Prince の「ichiban」という曲をプロデュースしました。この時、最初に提出した曲が「もっとKREVAさんらしいものを……」と差し戻されたんです。そこでわかったのは、おそらく他人のプロデュースよりも自分自身のプロデュースのほうが長けているということ。自分が舞台に立ちたい気持ちが今も常にあるので、そう思うかぎりはプレイヤーとして続けていくのでしょうね。
──これからのご活躍も楽しみにしています。有り難うございました。
(2024年5月9日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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