三田評論ONLINE

【話題の人】
根本美緒:気象予報士から環境問題の研究・発信の道へ

2022/11/15

シカゴで感じた都市のギャップ

──「朝ズバッ!」を5年担当された後はどのように過ごされていたのですか?

根本 結婚を機にシカゴに行き、子育てもアメリカでしました。現在は娘が2人と、息子が1人います。

シカゴは緑豊かで、きれいな街でした。ビルの間には芝生のエリアが整備されていて、子育てをするにはとても恵まれた環境でした。子どものイベントや動物園はすべて無料で、街中の植木鉢や花壇もひと月ごとに変わるのです。素敵だなと思うとともに、日本ではどうして同じことができないのだろうと感じました。

シカゴには2年ほど滞在しましたが、いろいろな人が声をかけてくれて、とても子育てがしやすい環境でした。そんなアメリカでの生活を経て、東京に戻り、ベビーカーを押しながら信号待ちをしていた時に、この街はなんて緑が少ないのだろうと思ったのです。

──アメリカの都市の良いところを見てこられたのでしょうね。それによって根本さんの中で日本とのギャップが浮かび上がってきた。

根本 そういう文化の違いに気づき、日本ももっとこうしたらいいのにとか、子どものためによりよい環境にしたいと考えましたが、公園は少なくボール遊びすらできない。いろいろな思いが湧き上がりました。私ももう大人になり、そういうものを変えていく世代だと実感するようになりました。

──根本さんはこれから世の中を変えていく世代ですね。ぜひチェンジメーカーになっていただきたい。

根本 何かしなくてはという思いは学生時代から持っていたのです。環境問題について書いた卒業論文でも、最終的に環境教育が大切だ、慶應義塾では一貫教育で環境教育に力を入れるべきだといった主旨のことを書きました。

というのも、ペットボトルのデポジットは、教育がしっかりしていれば制度化しなくても成り立つはずという結論に至ったからです。すると環境教育が大切になる。私がマスコミ業界を選んだのは、そのためにも時間をかけて人の意識を変える必要があると考えたためです。この卒論は当時、幼稚舎の舎長にも送ったりしました。

──そんなことまでしていたのですね。まったく知りませんでした。

根本 就活で東北放送を受ける時には環境教育の番組をやりたいと訴えました。気象予報を担当することになったのもそういう経緯からです。「朝ズバッ!」を担当しているころは全国の学校を講演して回るボランティア活動をやっていました。当時はまだ「3R(Reduce, Reuse, Recycle)」という言葉も浸透していなかったので、学校で習わないような環境の話を中心に話しました。じつは、母校である慶應の中等部や女子高でも話をさせていただいたことがあります。

そういう活動を継続しながらもヒートアイランド現象によって都市部の気温上昇が顕著になっていくのを感じていました。そうした時に環境番組もいよいよ自分から提案して実現させる歳に差し掛かっていると実感しました。ですが、一方で学問の世界から離れてずいぶん時が経ち力不足も感じていました。もう一度環境を学び直そうと考え、2018年に上智大学大学院に入りました。

理系に転身し、博士課程へ

──上智を選んだ理由は何ですか?

根本 理由の一つは自宅から自転車で通えたことですが(笑)、もう一つは地球環境学科という、文系で環境を専門にしている学科があったことです。環境経済がご専門の鷲田豊明先生にお世話になり、都市の樹木を経済評価するというテーマで修士論文を書きました。

──樹木を経済的に評価するということですか?

根本 そうです。私の論文ではCVM(仮想的市場評価法)や、商品開発の戦略立案に用いるようなコンジョイント分析を使い、人の意思なども貨幣価値に直していく研究を行いました。例えば、木陰のない交差点に樹列をつくる場合、あなたはこれにいくら払いますかというようなアンケートや調査票を配って実態調査をしたのです。

樹木には暑さを遮るだけでなく、蒸散効果や美観など、いろいろな価値があります。そのメリットを明確化したいと考えて経済評価にしました。こうした研究を行ううちに、自分の価値観などのバイアスを取り除き樹木の評価にもっと物理的にアプローチする必要性を感じ始め、理系に転じることを考えるようになりました。

そこで修士課程修了後、環境システム学を専門とする東京大学大学院新領域創成科学研究科の井原智彦先生の下で、博士課程で研究を続けることにしました。テレビのお仕事も、番組を移ってちょうどよいタイミングでした。研究を続けることには迷いがありましたが、これもまた慶應時代に島田先生から掛けていただいた「人生は一回きり。挑戦しよう」という言葉を思い起こしました。人生の節目にはいつも先生の言葉に背中を押されてきました。

東大は9月入学でしたので、10月で博士課程も3年目です。じつは今年7月に初めて対面で授業を受けました。この間はずっとオンライン講義だったのですが、井原先生も子育て中で互いに共感できる部分があり、研究環境に恵まれたと思っています。今は博士論文を書いている真っ最中です。

──コロナ禍だからこそ博士課程への一歩を踏み出せたのですね。子育てとの両立はたいへんでしょう?

根本 毎日苦労していますが、子どもたちが元気なので助けられている面もあります。3人とも野球好きで少年野球チームに所属しており、6年生の長女はキャプテンを務めています。子どもたちにも環境教育をしようと、最近は佐渡にトキを見に行ったり、屋久島に縄文杉を見に行ったりしました。

──余談ですが、僕は屋久島の親善大使なんですよ。よいところですよね。

根本 それは存じ上げませんでした!

屋久島は自然がそのまま残っていて本当に素敵なところですね。わが家ではそういう場所に出かけて家族で環境について考えるのですが、自分の子どもに向けて実際に環境教育をやってみて、難しいと感じることもあります。長女はウミガメのメス化についていろいろと調べ、学校のレポートに書いてくれたようです。

気象予報士として感じる環境の変化

──気象予報士としての根本さんは気候変動をどのように見ていますか。

根本 気象予報士になって15年ほど経ちますが、冬の朝の冷え込みが昔よりも厳しくないとか、50ミリ以上の雨の降る回数が格段に増えているといった肌で感じる変化はあります。

地球温暖化は世界的な課題です。対策には緩和策と適応策があり、緩和策はCO2を減らすこと、適応策というのは気温上昇に適応するために何をするか考えるもので、私は適応策の研究をしています。その中で着目したのがヒートアイランド現象ですが、まったく解決されていない現状があります。

──東京はこれだけ建物があるのに都市開発が続いていますね。ある意味、ヒートアイランドの課題先進地でもあります。

根本 修士論文で都市の樹木について書きましたが、逆に東京は都市開発が行われないと樹木が増えないのです。そもそも植樹の機会が限られている。これは企業が意識的に緑を増やしていくしかないと私は思っています。ですが、そういう発想が今の都市に乏しく、開発の中でも天然の日陰をつくっていくべきだと私は思っています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事