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早川浩:アジア初、ロンドン・ブックフェア「国際生涯功労賞」を受賞
2022/07/15
ハヤカワの作家たち
──現在早川書房が出されている錚々たる作家のラインナップは、外国の出版社や文化人からの信頼獲得に非常につながるのではないですか。
早川 例えば、マフィアものであればマリオ・プーゾォの『ゴッドファーザ ー』。破滅ものであればピーター・ベンチリーの『ジョーズ』。SFであれば、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフ。ミステリだったら、アガサ・クリスティー、レイモンド・チャンドラー。行動経済学であればリチャード・セイラー、ダニエル・カーネマン、哲学はマイケル・サンデル、といった原型、プロトタイプといったものが確かにある。
でも、それはすぐにはわかりません。5、6年たって、やっとこういうものが原型だとわかってくる。そういう作家と作品を探し当てるには自分で読まなければいけないし、人から話を聞かなければいけない。同時に冷徹な判断が必要不可欠です。アメリカで売れても日本で売れないこともあるし、もちろんその逆もある。翻訳権を買うか否かの最終判断は社の代表者である私に委ねられており、権利所有者が私の答えを待つのは当然です。
今から50年前、ハーパー&ロウというニューヨークの出版社を訪ねた時、世界の出版界で屈指のミステリ編集者が、「ボストンにこんな作家がいるから読んでみたら」と、他社の本を勧めてきた。それがロバート・B・パーカーが生んだ有名な私立探偵スペンサーの1作目。高倉健さんが『初秋』というそのシリーズの1冊を、自らの主演で映画にしたいととてもご執心でしたが、実現できなくて残念至極でした。エド・マクベインの「87分署」シリーズの『キングの身代金』も黒澤明監督の目に留まり映画化されたのです。
──「天国と地獄」の原作ですね。
「One And Only」を貫いて
──早川書房と言えば、やはりミステリ、SFだと思います。しかし近年はノンフィクションや思想系、あるいは自然科学系、それからカズオ・イシグロに代表される純文学もおやりになり、出版の対象を広げられています。
早川 父は常々、パイオニアスピリットを持ち、独自の路線を歩めと。ですから探偵小説をミステリ、空想科学小説をSF(サイエンス・フィクション)としたわけです。それが早川の一番根幹にあると言われます。
しかし、できるだけ幅広い分野から、いち早く面白い作家、学者を日本に紹介することが当社の使命だと思っていますので、ミステリやSFだけではなく純文学、哲学、一般性を持った科学読み物も出していきたい。
これは父の大きい希望で出版企画でもありました。1962年に「ハヤカワ・ライブラリ」という叢書を創刊し、その中の一冊が動物行動学者コンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』(1963年)でした。ここから自然科学、今で言うポピュラー・サイエンスものを出し始めました。
──そんなに昔からなんですね。「One And Only」という社是がおありですが、早川書房はミステリやSF以外の分野でも明らかに「ハヤカワ」とわかるものを出されているのがとても不思議です。
早川 当社が毎年作っている海外用の欧文カタログに「Intelligent Entertainment for the New Century」と謳っています。つまり、知的興奮をかき立て面白いものの出版を目指す。フィクションでもノンフィクションでも読んで面白いということが、出版の1つの基準になっています。
ニューヨーク出張中、エージェントから「これからアメリカ、イギリスで高額で取引される天体物理の本だ」と『ホーキング、宇宙を語る』を見せられ、私はすぐ翻訳権を買って鬼の首を取ったように日本に持ち帰ったのですが、編集者からは「何ですか、これは! うちはこういう本を出したことがないし、この内容に相応しい翻訳者がいません」と素っ気ない返事。当時、スティーヴン・ホーキングは日本では全く知られていなかったんですね。その時はもう権利を取っていたので、何とか頼むよ、と(笑)。でも、たちまち英米で大評判になってベストセラー。すぐその熱が日本に入ってきた。これはお蔭で100万部を突破しました。
──社長ご自身がそのように飛び回るのは珍しいのではないですか。
早川 かも知れません。困ることもあるんです。「あなたが最高責任者だろう。この場で決断を」と(笑)。
『ジョーズ』がそうでした。原稿をもらって「すぐに読みなさい。ぐずぐずしていると、よその出版社に売ってしまいますよ」と言われました。スティーヴン・スピルバーグが監督するというんですが、彼はその時はほとんど無名だったのですよ。でも、すぐにアメリカで本も映画も大人気になり、「あなたに翻訳権を大バーゲンして損した」と後から茶化されました(笑)。
──ダニエル・カーネマン、リチャード・セイラーはノーベル経済学賞。物理学賞はジャンナ・レヴィン、文学賞はカズオ・イシグロ。これらの翻訳を早川書房から全部出して、世間ではノーベル賞三冠王と呼ばれましたね(笑)。早川書房の出版物の中で印象に残る作品、印象に残る作家はどのようなものがございますか。
早川 やはり『ジュラシック・パーク』のマイクル・クライトンですね。同い年ということもあり、馬が合うというか、お互いに琴線に触れる部分が多くありました。
1993年にハヤカワ国際フォーラムで招聘した時が初対面でした。私は成田空港で出迎え、その足で湯河原の「天野屋旅館」にお連れしました。2人で檜の風呂へ入って、湯舟に銚子を並べて文学、映画、文化論諸々の話をしたのです。2メートルを超す大男でしたが、非常に気が廻る人間で、アメリカに帰国すると、来日中に彼の手伝いをしたすべての社員に礼状が来ました。そういう繊細な神経を持っていました。世界の大作家がですよ。全てに図抜けた天才は66歳で亡くなってしまいました。同い年なのに残念至極です。
「人間交際」の体現者
──慶應という場所は、早川浩を生み出す過程で、どのような意味がありましたか。
早川 先生、友人、体育会競走部員の仲間に恵まれ充実した4年間でした。学部は違っても、先輩、同輩、後輩諸君と親しく行き来しています。そして2014年から評議員の末席を汚しています。理事にも推薦いただき、より大学とも関係が濃くなり、多くの先生方をはじめ、より交友関係が広くなって、とても幸せに思っています。
──評議員、理事として見られて、今後の慶應に対して期待することはございますか。
早川 日本でも一番古い私学、しかも医学部を持っている総合大学としても、1、2年生のリベラルアーツ教育をより充実しなければいけませんし、事実、学校と先生方がその方向に進めているということは喜ばしいことです。
外国でアメリカ、イギリス、EU圏からインターンで出版社やエージェントに来ている学生たちと話すと、とても幅広い知識を持っていて、文学はもちろん、法律のこともよく学んでいます。
ライセンシング&コンテンツビジネスというのが、これから出版社ではとても重要な核になると考えます。著作権を売ったり、貸したりすることで利益を上げる。特にアメリカ、イギリス、フランスなどでは原作の映像化、TV化の権利をハリウッドに売る。最近ではNetflixが莫大なお金を出して放送権を買っていますね。
──そういう中で本の文化の近未来はどのような形になりますかね。
早川 私は活字文化というのは、当分廃れないと思います。長く読み継がれる、つまりクラシックを多く持っている出版社が断然有利で、当然評価も高くなります。いまだに日本で一番売れているのはおそらく夏目漱石ではないでしょうか。アメリカのクノップフとか、フランスのガリマールといった出版社も驚くほどたくさんのクラシックを蓄えています。
──早川さんはいろいろな交友関係から熱量を抽出して決断をされる部分と、冷静に、そろばんをはじかれる、企業人の側面をお持ちですね。
早川 情熱だけは誰にも負けないと思っています。でもちょっと熱くなるきらいがありますね(笑)。この作家は絶対に押さえておきたい、権利を買いたいと思うと居ても立ってもいられません。
例えば『すべての美しい馬』のコーマック・マッカーシー。寡作で、5、6年に一作しか書かない。また、『侍女の物語』を書いたカナダのマーガレット・アトウッド。こういう作家を押さえられてきたことは、ちょっと自慢してよいかな、と思います。
──早川さんはまさに福澤諭吉の人間交際を実践されているような感じがします。健康に留意されて引き続き大活躍を期待しております。本日はどうも有り難うございました。
(2022年5月16日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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