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北村甲介:家具インテリア業界に新風を吹かせる

2022/06/15

フットワークで切り拓く

──実際に成長できるか否かはその人の才覚が左右する部分もあります。個性を成功につなげられる要因はどこにあるのでしょう。

北村 個性を出したい気持ちはありますが、自分のアイデアが絶対に受け入れられるはずだとは思いません。中心はあくまで消費者で、生活する人たちが何を考えて消費行動をとるのかという視点が大切です。僕はそういうお客さん目線が人一倍強いと思います。

──北村さんは行動力も人一倍ありますね。いきなり1カ月ほどインドネシアのジャカルタに滞在したり。

北村 本気で海外出店を考えるなら“土着すること”が必要だと考え、2019年8月にジャカルタで1カ月生活してみました。

この時、ジャカルタ中の家具屋や商業施設をすべて見て回り、マンションやモデルルームをたくさん見て現地の住宅事情を調べました。慶應時代の知人をはじめ色々な知り合いに人を紹介してもらったことも大きく、たくさんの情報を集めることができました。

フットワークが人生を切り拓くというのが僕のモットーです。これまでも実際に足を運び、人と会ってよかったと思うことが多かった。行くべきか、会うべきかと悩むよりも動いたほうが早いのです。限られた時間の中でこれは行ったほうがいいだろうという感性も経験とともに磨かれていきます。

──東京中を自転車で回ったとも聞きました。すごいバイタリティです。

北村 リビングハウスは大規模商業施設に出店する例が多いのですが、コロナ禍の影響で路面のテナントが空き始めている様子も伝わってきていました。そこで社員とともに都内を自転車で見て回ったのです。

店舗の空き具合だけなら不動産屋の情報で十分ですが、肝心なのは時間帯ごとの人出や他店舗の営業状況だからです。そういうエリアの情報は体感的に知りたい。朝から走り始め、青山、原宿、渋谷、代官山、恵比寿、中目黒といった中心地を6時間ノンストップで回りました。

車は駐車場を探したりと無駄な時間が多いのです。自転車なら裏道で思いもよらぬ物件と出会うこともあります。現場、現物、現実のいわゆる“三現主義”を普段から意識しています。

百貨店再生というチャレンジ

──現在、鳥取の米子の老舗百貨店でワンフロアの空間演出をすべて任されるかたちで再建に関わっておられます。これまでの出店とは違うタイプのお仕事ですね。

北村 だいぶ違います。もともと出店要請を一度お断りしたプロジェクトでした。第一印象は百貨店というよりスーパーで、百貨店も撤退することが決まっていたそうです。でも、ここがつぶれると町が荒廃すると、地元の名士たちが商業施設を買い取った事情があります。

しかし状況は厳しく、お断りする理由を考えながら、「地方都市では百貨店という業態に無理がある。尖った店だけに絞り、三十貨店にしたらどうか」と勝手なことを言わせてもらったのです。すると、先方の社長さんが「北村さん、出店ではなく、ワンフロアを丸々プロデュースしてください」と言うのです。

そんな規模の仕事はやったことがなく正直戸惑いましたが、これは面白くなるかもしれないと感じ、お受けすることにしました。5階建ての最上階をフルリノベーションし、新しい生活スタイルを提案するフロアにリニューアルします。8月にオープン予定です。もちろんビジネスですが、地方創生でもある。本当に熱意をもった人たちばかりなので、僕たちもがんばりたいと思っています。

──今までの店舗形態とは随分違うものになるのでしょうか。

北村 僕らの店舗も入りますが、百貨店が運営する残りの部分も、商材選びやディスプレイを手がけさせてもらいます。百貨店と言えば、バカラのグラスやウェッジウッドのティーカップが並んでいるイメージですよね。不思議とどこのお店も代わり映えがしない。でも、ウェッジウッドの中にも定番とは別のモダンでおしゃれな商品があるんです。そういうものを積極的に打ち出し、イメージを変える提案をしました。

地方の百貨店としてはあり得ないような斬新なフロアをつくるので、チャレンジングな部分もあるのですが、人口15万人都市であえて万人向けではなく30代、40代の若い層に向けました。

それによって一部のお客さんを失うかもしれないけれど、もう少し広域から来てもらい、15万から50万商圏に拡大する。そのためにはお客さんが訪れてくれる、尖った品ぞろえにする必要があるのではないか。そういう提案をしたところ、乗ってくれました。彼らの意思決定もすごいなと思います。

全国各地でつながる慶應の輪

──経営者として慶應で学んだことを実感されることはありますか。

北村 よく冗談で、慶應では4年間サマーバケーションを過ごしていたと言うのですが、塾生時代はゴルフサークルに入っていました。そのサークルにはいろいろな地域から集まってきた同級生がいて、とくに福岡と名古屋が多かったのです。

その中の1人が福岡のテレビ局でプロデューサーをしていて、リビングハウスが福岡に初出店する時には取材してくれました。サークルの友人知人が地域ごとにいて、卒業後も交流が続いています。勉強は熱心にしていなかったのですが、その後のビジネスマン人生にとって慶應に入ったことはとてもよかったなと思います。

──ご出身は大阪ですね。慶應に進学しようと思ったきっかけはあるのでしょうか。

北村 僕は慶應には推薦入学で入ったのです。高校は中高一貫の進学校で、高校時代は野球部に入っていたのですが、慶應への推薦を受けるには評定がギリギリ足りませんでした。それでも部活動を続けていたことがプラスになるのではと思い、引退後にがむしゃらに勉強しました。結果的に野球部を最後まで続けたことも理由となり、慶應の推薦枠をもらうことができました。

──北村さんの行動力は塾生時代からのものだったのでしょうか。

北村 商学部では工藤教和先生の研究会に所属していましたが、大学4年生の時に、学期中にもかかわらずヨーロッパを3週間、バックパックを背負った旅をしたんです。学生はお金がありませんので、航空券が安い時期をねらったのです(笑)。何しろ3週間も姿を見せないわけですから、先生に何と言えばいいだろうと旅行の間中考えていました。帰国してから一応報告に行ったところ、笑って許してくださったとてもやさしい先生でした。

本当に勉強をしない塾生でしたが、この期間は感性を磨くことができた得がたい時間だったと思います。たとえ今タイムマシンで当時に戻っても、たぶん同じことをするでしょうね。

──これからも一層のご活躍を期待しています。今日は有り難うございました。

(2022年4月15日、株式会社リビングハウス東京本社にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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