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波多野睦子:ダイヤモンド量子センサーで社会を変える
2022/03/15
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インタビュアー小尾 晋之介(おび しんのすけ)
慶應義塾大学理工学部機械工学科教授
企業の実業から大学での教育・研究へ
──まず、ご専門のダイヤモンド研究についてお話しいただければと思います。キャリアとしては日立製作所の研究所で企業の立場で研究をされた後、東工大に入られたのですね。
波多野 企業では、スーパーコンピューターへの応用を目指した超伝導デバイスの基礎研究の後、パワーデバイスやモバイルディスプレイなど事業直結の研究開発に従事し、さらに環境エレクトロニクスに関する新規事業のプロジェクトリーダーを担当していました。
東工大に移る時に、一度スクラップして何もかもまっさらにして、宝石の王者のダイヤモンドという、究極の半導体材料を用いた新しいテーマを開始しました。
私は異分野を融合して新たな価値を創出することが重要と考えています。ゼロスタートでしたが、複数の研究機関との連携で新たな研究分野をつくりあげられないかとチャレンジしました。既にダイヤモンドの量子研究で先導されていた塾長の伊藤公平先生にもご指導いただき、国際シンポジウムも共同で企画しました。分野融合や総合知の重要性は、慶應で教育いただいた、と実感しています。
現在は、医療や低炭素社会での社会的課題解決に向けたダイヤモンド量子センサーの研究を行っています。
──博士の学位はどこで取られたのですか?
波多野 学位論文は、電気工学科の学部を卒業して、日立製作所の中央研究所に入社後、論文博士として慶應で取得させていただきました。論文のテーマは、超伝導デバイスの研究です。
──電気工学科の学部卒で会社に入られてからも論文をお書きになっていたんですね。
波多野 はい。5本の論文執筆が学位取得に必要でしたので、6本の論文を掲載し、学位論文として審査いただきました。口頭試問での正解のない重要な問い「人類のために役立つ技術になりますか」は、今でも印象に残っています。
企業では男女雇用機会均等法成立前で、女性研究者の活用は試行段階でしたが、周囲の理解に恵まれ、男性と同等にやっていくためにも、「早く博士号を取得したほうがよい、ただし勤務時間外にやること」という機会をいただきました。審査員の先生とのミーティングに当時2歳の長女がついてきたり、慶應の先生にはご理解いただきました。三田演説館での博士学位授与式には、長女もおめかしして参列しました。
私が学部生の頃、ちょうど慶應に物理学科ができる時期でした。久保亮五先生、米沢富美子先生、世古淳也先生、博士審査でもご指導いただいた宮島英紀先生など、著名な先生方がいらっしゃり、慶應もそのための環境を整えようと活性化していました。超伝導の研究に必要な液体ヘリウムの設備などが矢上に揃い始めたところで、共同研究先の電総研(電子技術総合研究所)に通わなくても矢上の研究室で実験ができるようになりました。
──工学部が小金井から矢上に移ってそれほど時間もたっておらず、そういう雰囲気があったのですね。
企業と大学での研究の違い
──今、お仕事は研究、教育、行政あるいは社会貢献など様々あると思いますが、どんなふうに時間を使われていますか。
波多野 私は現場主義で、学生と一緒に話したり実験したりするのが大好きですが、十分な時間が取れず、ストレスの原因になっています。コロナ禍を機会に、リアルタイムでの知の自律的共有システムを構築したのですが、やはり学生の指導は対面に勝るものはないと実感しています。一方、ご指摘のとおり、研究のプロジェクト、学会の運営、行政の仕事に時間が割かれてしまっていますが、こちらも重要です。
大学の先生は自由で、じっくり考える時間が取れると期待しましたが、いえいえ皆さん超お忙しい(笑)。その状態は年々悪化しており、創造的な研究教育の妨げになると感じています。
教育では、「博士課程教育リーディングプログラム」のプログラムコーディネータを務め、グローバル社会や企業が求める博士学生の育成に力を注いできました。現在この教育を受けた学生たちは世界で活躍しています。が、肝心の博士人材の受け入れ側、従来型の企業から、スタートアップ、さらに省庁も含むパブリックセクターらの準備がまだ不十分で、博士人材にプレミアムをつけないなど課題があります。一方、大半の日本企業は、従来のメンバーシップ型からジョブ型雇用への移行の段階であると思いますので、今がそれを変える好機とも思います。
しかし、日本の学生は海外の学生に比べ、ロジックを組み立てて物事を考える力やそれを言語化する力に弱さがみられ、その結果、リーダーシップが発揮できていないように思います。企業側も博士学生の要件としてそこを明確に求めるべきです。
一方で、企業の基礎研究比率の低下や研究力そのものの低下も問題とされています。確かに私が企業にいた頃、特に半導体の分野は、産学がタッグを組んで、企業が牽引していました。
応用物理学会でも企業の会員は、講演会などへの参加は多いのですが、発表は減少しており残念に感じています。この背景としては、企業内活動の短期視野化により目先の利益優先、コンプライアンスが厳しくなったこと、様々な分野で寡占化が進み、技術をオープンにする動機が弱まったことなどが考えられます。しかし中長期では研究開発投資はプロフィットが高く、人材の強化、企業の体力増強に直結すると私は信じています。さらに、企業は利益のみならずESGなどの社会的責任も求められるようになり、大学や学会の重要度が増すと期待しています。
──かつては企業の基礎研究所がたくさんありましたがバブルの後にずいぶん畳まれてしまいましたね。
波多野 産官学でタッグを組んで、次世代の人材を育成することが重要ですが、就職活動にミスマッチがあると思います。現在の就活は、修士1年になるとすぐに始まり、企業が大学の教育に期待していないのか、とがっかりします。
それを修士2年の修論審査後にすると、企業側もしっかりと人物を判断できるでしょうし、博士課程進学も必ず増えると思います。研究の面白さ、この先もっと研究を深めたいという意欲を育てることが国として非常に重要だと思うのです。さらに、博士号を取得した学生にはインセンティブを付けていただきたいです。
──欧米先進国と比べて残念なのは、おっしゃったように企業が大学教育に期待していないところですね。さらに、昔は企業の中で人を育てる力が相当あったのが、今は余裕がないから大学でやってくださいと言う。そうであれば、在学中の採用活動で邪魔しないでほしいですね。
リーディング大学院もされているということですが、海外へ行った学生たちはどんなふうですか。
波多野 3カ月海外で過ごしただけでも刺激を受け、全く変わります。やはり、初めての外の世界で大きな収穫があるようです。特に私のプログラムでは、海外の大学だけではなく企業に滞在する機会をつくりました。ドイツの化学メーカーでは、マネージャークラスは全員博士を持っている、インドの企業は地理を活かしアフリカにビジネスを展開している、などその地での感動を教えてくれます。最初の修了生が35、6歳になり、国内外で中核になって活躍しています。
東工大と慶應のカラー
──慶應の卒業生と東工大の卒業生で、活躍する場所はどんな違いがあると感じていらっしゃいますか。
波多野 カラーは違いますよね。東工大の学生は真面目で聡明です。数学ができ、論理的な思考力に優れ、式を解かせたら眼が輝きます。先端技術を支える大切なところで東工大の卒業生は重要な役割を果たしていると思います。
一方、グローバルな課題を見出し、それを表現してチームで解決し、デザインし、新しいビジネスを生み出していくのは、慶應の学生のほうが得意かなと思います。それを挽回すべく、東工大では教養教育、リベラルアーツ教育に力を注いでいます。東工大に着任した朝、エレベータで一緒になった学生たちは挨拶もしないし、先に降りちゃうんです。慶應ではありえなかったので驚きました。東工大の先生に話したら、挨拶強制はアカハラですよ、とさらにびっくり。
慶應は三田会をはじめとして先輩・後輩のつながりが強いので、学生は先輩から、世界で起こっていることなどを学ぶ機会が多いのかと思います。
──そうでしょうか。ただ、それは個人差がかなりありますね。逆に、東工大の良い面はいかがでしょうか。
波多野 学生は本当に謙虚で誠実です。今後、どんな人材が求められるのでしょう。三井物産のトップの方によると、ジェネラリストは少数精鋭でよく、ある能力に長けたオタク的な人材が必要とのこと。「だとすると東工大の学生は争奪戦になるわ」とにっこりしました(笑)。
──今、女性の教員はどのくらいいらっしゃるのですか。
波多野 私は実は工学部で初めての女性教員でした。企業から東工大に入り、あなたは工学部で第一号の女性ですと言われて驚きました。やはり、アカデミアの世界は遅れていると感じました。徐々に増えてはきていますが、電気電子系は女子学生も少ないです。
──教員に女性が増えることと女子学生が増えることとは関係があると思われますか。
波多野 そうとも限らないと思います。どちらかといえば私は女子学生に期待しすぎで、逆に厳しいかもしれないですね。
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波多野 睦子(はたの むつこ)
東京工業大学工学院電気電子系教授、応用物理学会会長
塾員(1983 工)。工学博士。㈱日立製作所中央研究所を経て2010年より東京工業大学教授。20年応用物理学会会長(22年3月まで)。