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関美和:ESG投資のファンドを設立し社会課題を解決

2021/11/15

ハーバードとアメリカ金融での経験

──卒業後電通に入られますが、割とすぐに辞めてしまいますよね。

 当時はサラリーマンの醍醐味みたいなものがよく分かっていませんでした。私は男女雇用機会均等法ができて2年後の入社なのですが、社内でも大卒女子は数えるほどしかおらず、定年までいるイメージも湧きにくかったですね。そんな時に交通事故に遭い、しばらく入院した後で辞めました。

──病院で寝ているときに周到に将来のことを考えたと。

 周到ではなかったですが、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)を1980年代にご卒業になられた江川雅子さんが翻訳した『ハーバードの女たち』という本を読んだんですね。そこに書かれていたのは70年代にハーバードを出た女性たちは、家庭を持っている人で出世した女性はいない。両立できるとしたら、弁護士か医師か教師しかないと書いてあったんです。

でも、自分たちの世代はもしかしたら違うかもしれない、違う世界を開けたらと思いHBSに行きたいなと。まず、日本で、当時できたばかりの外資系の投資銀行に入りました。新しい世界ですごく楽しく、小さなチームだったのですが、アナリストを2、3年やると、全員ベルトコンベアのようにビジネススクールに行くのです。

──HBSはどんなふうに感じられましたか。

 1学年800人いたのですが、密に付き合うのはセクションに分かれている90人。皆、国籍は違うのですが、オランダのマッキンゼーやインドネシアのゴールドマン・サックスとか会社は同じだったりするので実は多様性がない。皆エリートで、特に途上国から来ていらっしゃる方は恵まれた環境で育った人が多かったです。

授業はやはり言葉の問題が大きくて、きつかったですね。しゃべらないと落とされるので、プレッシャーがすごくて。90分の授業中に、発言の時間を奪い合うので、そこに入っていくのはすごく難しかったです。

──そのままニューヨークでモルガン・スタンレーに入られますね。

 モルガン・スタンレーの2年間は厳しかったです。MBAを出た新卒みたいな感じです。「ブルペン」というところにアソシエイトと呼ばれる我々がいて、昼夜問わずいろいろな仕事を割り当てられました。

──さすが世界トップの金融機関。相当な経験を積んで、日本に帰ってこられたんですね。

翻訳との出会い

──翻訳との出会いをお聞かせいただけますか。

 日本で投資銀行にいた時にマイケル・ルイスの第1作『ライアーズ・ポーカー』の原著を読んだんです。それが本当に面白くて。まだ彼は無名で年もそんなに変わらず、しかも、ソロモン・ブラザーズのアソシエイト時代に1作目を書いていました。

翌日、有楽町をお昼時に歩いていたら、なんとマイケル・ルイスが前から歩いてきたんです(笑)。あり得ない偶然だけど、「すいません。マイケル・ルイスさんですよね」と言ったら、「そうだ」と言う。「昨日、本読みました」と言うと、向こうもとても驚いていました。

マイケル・ルイスさんとはその1回しか会っていないですが、いつか彼の本を訳したいと思ったことが翻訳を始めた動機になっているんです。でも、まだ果たせていなくて私の「死ぬまでリスト」の中に残っているんですよ。

──なるほど。最初に訳そうと思った本も訳せなかったとか。今はこんなに有名なのに(笑)。

 そうなんです。アメリカから帰国後にキャシー・松井さんからいただいた、アンソン・ピアソンという作家のI Don’t Know How She Does It という本です。本当に翻訳したいなと思って交渉したのですが、あいにく日本語への翻訳は別の人がもうしていて。

主人公が小さな子供が2人いるファンドマネージャーで、自分を見ているようでとても生々しく、しかも面白い。でもよく考えると何の経験もない人間にいきなり本1冊の翻訳は頼まないだろうなと思い、ダイヤモンド社の門を叩き、営業しました。

──『ハーバードビジネスレビュー』の翻訳をしたいと売り込みにいったのですね。そこからどんどんキャリアアップされて。

 ええ。そのうち単行本も出せるようになりました。その頃に米投資顧問会社のクレイ・フィンレイの東京支店長を辞めることになりました。

──翻訳が軌道に乗って、金融の世界から徐々に軸足を移すと。

 翻訳のためというより、自分はファンドマネージャーとして本物じゃないのに高給を取っていることがおかしいなと感じて会社を辞めたんですね。そうしたら夫が家を出ていってしまった。それで困って金融業界への復帰も考えたんですが、時はリーマンショックで職がない。でも、翻訳の仕事は選ばなければ需要があるので、それに専念するようになりました。

──そして慶應の法学部に再入学される。これはどうしてでしょう。

 離婚の条件をまとめるため弁護士さんに相談したのですが、こんなにお金を取れるのかと思い、自分もなれると勘違いして(笑)。でも、法学部に入ってみたら翻訳の仕事をやめないと予備試験には到底臨めないなと。なので、司法試験突破も「死ぬまでリスト」に入っています。

長い目で見れば上手くいくという姿勢

──AUWとの出会いと活動のことを教えていただけますか。

 キャシーさんから誘われたんです。キャシーさんはカマル・アーマッドさんというAUWを創立したバングラデシュ出身で世界銀行にいた人とハーバードを通じた知り合いです。バングラデシュは10数年前はアジアの最貧国で、特に女性の高等教育の機会がなく、そこに欧米並みの高等教育の機関をつくりたいという夢がカマルさんにあったんですね。そのための資金を集める活動を手伝ってくれないかと。

最近もアフガニスタンでカマルさんがすごい外交手腕を発揮して活躍しました。アメリカが奨学金を出し、アフガニスタンから毎年多くの学生がAUWに来ていたんですね。ところが、在学生、卒業生約140人ほぼ全員が、コロナのためアフガニスタンに戻っていたんです。

そこで今回の騒乱ではアメリカ政府にかけあって全員にビザを発行してもらい、タリバンがカブールに入った3日後ぐらいにチャーター機で全員アメリカに脱出させました。彼女たちはアメリカの大学に編入させてもらえるのではないかと思います。

──お話を伺うと、関さんは、今の制度はおかしいから絶対変えようとするのではなく、徐々に改良していこう、と現実主義的に動いているように思えます。

 そうかもしれないですね。オール・オア・ナッシングというのはないと思うので、少しずつでも前進してよくなったほうがいいと思っています。

将来に対しては楽観的なほうだと思います。世の中はいろいろ間違った方向に行くけど、長い目で見れば、人間は最終的にちょっとずついいほうに行くんじゃないかと。だからよいところを信じて、両極端じゃない落とし所を見つけるほうがいいと思います。

──特に女性の塾生、塾員は関さんのお仕事の多彩さに憧れる方も多いと思います。そういう人たちに伝えたいことはありますか。

 計画し過ぎないのがいいと思います。大体思った通りにはいかないので。今回のファンドもそうですが、そんなに計画せずに、駄目だったら修正しようという感じで考えたほうが人生楽しいかなと思います。

よく若い方で、いつ子供をつくったらいいですかと、キャリアとの両立を心配される方がいらっしゃるので、「いつでもいい。子供の生み時は妊娠した時」と言っているのです。そのぐらいの感じで行くといんじゃないかと思っています。

後は、人に任せることを学ぶということでしょうか。キャシーさんや村上さんを見ていると上手に任せて、後は目をつぶっている。それが様々な好循環を生んでいく気がします。

──複数の分野で活躍された関さんなので、非常に説得力があります。関さんの、長い目で見ればよい方向にいくのではというお考えは、人間の善意を基にしたESG投資のようなところにも表れてくるのかなと思いました。今日は有り難うございました。

(2021年9月27日、オンラインにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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