三田評論ONLINE

【話題の人】
関美和:ESG投資のファンドを設立し社会課題を解決

2021/11/15

  • 関 美和(せき みわ)

    翻訳家、「エムパワー・パートナーズ・ファンド」General Partner

    塾員(1988 文、2013 法)。クレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長等をへて翻訳家に。本年「エムパワー・パートナーズ・ファンド」を共同設立。

  • インタビュアー西村 博之(にしむら ひろゆき)

    日本経済新聞編集委員兼論説委員・1992 政

ESG投資の会社を立ち上げて

──翻訳家として数々のヒット作を出してこられた関さんですが、本年「エムパワー・パートナーズ」というESG(Environment[環境]、Social[社会]、Governance[ガバナンス])投資のベンチャーキャピタルファンドを設立され、話題になっています。まずこのお話から伺えますか。

 このファンドは友人であるキャシー・松井さん(ゴールドマン・サックス証券元副会長)、村上由美子さん(OECD前東京センター所長)の女性3人で立ち上げたものです。

お蔭様で目標額の160億円に近いところまで来まして、ファンドレイズもそろそろ終わり、並行して3社に投資を始めています。先日は海外の気候データのアナリティクスの会社に投資しました。チームも増強して今は8人います。

──すごいですね。あとの2社はどんなところですか。

 もう1つは保育園のDXをやっている会社です。日本の保育園は、お昼寝の時間の間、保育士さんが子どものチェックを逐一するので疲弊している。それをセンサーによって自動で把握して記入できる機械を開発し、保育士さんの生産性向上に役立てるのです。

──これも女性のエンパワーメントですね。

 そうですね。もう1社はWebサイトやアプリの多言語化プラットフォームをしているところで、東京都の地下鉄や私鉄の運行の多くにそのプラットフォームが使われています。

──ESG投資と言われますが、エムパワー・パートナーズの投資哲学はどんな感じなのでしょう。

 投資対象は、tech-enabled sustainable living「テクノロジーによって可能になる持続的な生活に資する」スタートアップにしたいと思っています。5つ分野があって、1つは医療やヘルスケア、ウェルネス。2番目がフィンテックで、お金が行き渡っていないところにテクノロジーによる支援をするところ。3つ目が、保育士の生産性改善のように生産性の向上に資するようなよい働き方を目指すところ。

4つ目が循環経済とか共有経済といった「新しい消費」の形のプラットフォーム。5つ目が気候変動への対応などの環境に関するところ。この5つの分野で成長が期待できるスタートアップ企業を応援したいと考えています。

──お2人とはどういう経緯でこのファンドを立ち上げることになったのですか。

 村上さんは大学院の友人、キャシーさんは私がファンドマネージャーをやっていたときに知り合いました。20年以上のお付き合いなんです。

ある時、このESGの波は、日本企業がもう一段、グローバルになる時に必要ではないかという話になりました。日本ではなかなかユニコーン(創業から10年以内、企業評価額が10億ドル以上の未上場ベンチャー企業)企業は出ないので、ESGのDNAを若い会社の成長戦略に植えることができればという話になったんですね。そこでESG重視型のベンチャーキャピタル(VC)というアイデアが出てきました。

またスタートアップの世界はまだ女性が圧倒的に少ないため、私たちのファンドは差別化できるとも思いました。

──160億円というのは結構な額ですよね。投資する側の方はエムパワー・パートナーズのどのようなところに魅かれていますか。

 女性のファンドとしては非常に額が大きいと思われています。ESGと企業パフォーマンスの関係をケーススタディ的に検証したい、投資した会社がどのようにESGを実装して、それが株価や企業価値にどう関係するかを見たいとおっしゃる投資家さんは多いです。

今、機関投資家も、上場株ではESGを非常に意識した投資をしていますし、未上場株もいずれはそうしたいので、そのヒントとして私たちのファンドに興味があるのかと思います。

私たちが投資するのは上場が2、3年後に見えているようなスタートアップ企業です。上場に向けて、ガバナンスも含めて整備していく必要があるので、市場の要請に関して私たちがアドバイスできることをしています。

三田に憧れた文学少女時代

──翻訳家としてのお話を伺いたいと思います。100万部突破の大ベストセラーとなった『FACTFULNESS』(共訳、日経BP社、2019年)がなんといってもすごいです。

 2019年の初めに発売したんですが、著者の1人はスウェーデン人の感染症の専門家の医師で、月で一番売れたのは2020年5月でコロナ後なんです。2019年も売れたんですが50万部くらい。それが翌年さらに売れていきました。

──翻訳家としてのキャリアがまさに花開いたところで、また新しい分野にも足を踏み入れられたわけですね。

 今は新しい翻訳より、以前に積み残したものを終わらせようと思っています。実は『FACTFULNESS』が終わったらやめようかなと思っていて、そういう意味では区切りが付いたかなと。

──なるほど。ここに至るまでの関さんの道のりはとても興味深いのですが、お生まれになったのは福岡の現田川市という炭鉱町だそうですね。

 私は4人兄弟の末っ子なんです。兄が3人いて12歳年上の兄(松尾利彦チロルチョコ株式会社会長)が慶應の法学部に入った時、私は小学1年生でした。

兄が大学在学中、初めて母に連れられ三田祭に行きました。パレットクラブの兄の油絵が教室に飾られているのを見てすごくいいなと思い、その時、慶應に行きたいなと思いました。

──幼い時から三田というのが念頭にあったと。どんな少女時代だったのでしょう。

 私はすごく本が好きで家に世界文学全集があったので全部読みましたし、兄3人もよく本を読んでいました。そのようなことから自然に慶應の文学部に行きたいと思いましたね。

でも周りは炭鉱町という特異な環境で生活がとても厳しい人たちもいました。父は「チロルチョコ」という会社を経営していたのですが、兄が大学に入るぐらいまでは工場も苦しかった。

私が小学校に入ってからは少しずつ家計が豊かになっていきましたが、同じ小学校には「炭住」という炭鉱労働者の長屋に暮らす閉山した炭鉱の炭鉱夫の子が多くて、日本が高度成長していく中で取り残された町という感じでした。小学校の同級生は私が高校生の時にチロルチョコの工場で働いている方もいらっしゃいました。

──現在、AUW(アジア女子大学)で貧しい国の学生たちの支援をしていらっしゃるのは、そういった経験も影響があるんでしょうか。

 ありますね。運良く生き延びて、教育を受けられたことを少しでもお返ししていきたいと思います。

──慶應に入学されてみて文学部はどうでしたか。

 すごく楽しかったです。鮮明に覚えているのは1年生の時の英語で、アマデウスの戯曲を読む授業です。それがとても面白かったですね。初めて英語で最初から最後まで戯曲を読んだ経験になって感謝しています。

専攻は人間科学専攻でマーケティングを専門にされていた井関利明先生のゼミに入りました。コピーライティングに興味があって、広告業界に行きたいなと思っていたのですね。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事