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稲川琢磨:「日本酒を世界酒に」するために

2021/10/15

フランスで受け入れられるまで

──非常に夢が広がるお話ですね。フランスのニコラ(NICOLAS)というお酒の小売店の契約を取られたと聞き、すごいなと思いました。ワインと一緒に日本酒が売られるとなると、お酒はワインよりもデリケートな扱いが必要なのかとも思うのですが。

稲川 温度管理の部分ではうちのお酒の場合、いわゆる吟醸酒と違ってもう少し熟成が効くタイプなのでそんなに問題はありません。僕らがローカルでの扱われ方を啓蒙していくことは難しいので、どちらかと言うと製品自体をフランスでの扱われ方に合わせていくという考え方でやっています。

例えば、最近はフランス産の柚子を加えた香りも楽しめるお酒が今、ニコラで売れています。この商品は6カ月ぐらい常温でも持ちますし、日が経つとどんどんおいしくなっていく不思議なお酒なのです。そういうボタニカルな要素を加えることで問題をクリアしていくことも心がけています。

──なるほど。フランスという外国で酒蔵を立ち上げるとなると、「ここで商売するならきちんと挨拶しろ」みたいなことはありませんでした?

稲川 正直そういう話しかなかったというのが現実でして(笑)。最近は結構慣れてきましたね。何かあった時に動揺しないというか。発注先の工事のミスがあっても「ああ、こういうことあるよね」と思える。フランス人は「セ・ラヴィ(これが人生だ)」とよく言います。嫌なこと、苦しいことは毎日起こるのでくよくよしてもしょうがないという意味ですが、フランス人がなぜそういうメンタリティなのかをすごく学びました。

蔵を立ち上げる時、工事を始めたら、騒音が出て近隣住民の方々から、匂いと音の心配をものすごくされました。市長のところに電話がかかって、「隣の工事を止めてくれ」という話になったらしくて、弊社が1億円ほど投資をしたタイミングで、あなたたちのプロジェクトは許しません、と言われ、1億円が泡と消えてしまったんです。

私は、このままだと家族が路頭に迷うから、何とか市長に会わせてくれと、市役所に毎日通い詰めました、1カ月程たってようやく市長が会ってくれることになり、近隣住民の方々と市長に、フランス語で20分間詰め寄られるという恐怖の会があったのです。小尾研究室で鍛えられたメンタルで何とかそこを乗り切って(笑)、近隣住民の方にお酒を配ってご理解を得ることができました。

常にトラブルしかないような状態でしたが、フランス独特の事情に慣れていくのは大事なことだと思いました。

──そういった苦労があったわけですね。日本酒の味はフランスの人に割と順調に受け入れられたんですか。

稲川 1年目がすごく難しくて、甘い、くどいと言われました。2年目に酒質大改革をして、20人程度のフランス人にヒアリングをして味の方向性を定め、だいぶ味を変えました。

最初は、穀物感が結構あったんですが、ワインの国なので、フランス人は穀物感が苦手で果実感がすごく大事なんです。なので酸味をしっかりと出して、穀物感を抑えて味をすっきりさせることにかなりシフトしました。微妙なところで定期的にお客さんに話を聞きながら味を揃えていき、受け入れられるようになりました。

人生を変えたフランス留学体験

──塾生時代、ダブルディグリーのプログラムで行ったフランスのエコール・サントラル留学時代の話をお聞きしたいです。非常にタフなプログラムでしたが、稲川さんにとって、あのプログラムはどういうものでしたか。

稲川 僕が今ここで仕事ができているのは、このフランス留学があったからこそだと思っていて、本当に小尾先生には感謝しています。その2年間で学んだことは、ここでやっていくという覚悟を決めてやり切る姿勢の重要さでした。確かに大変なこともたくさんあり、日本人への不当な扱いもありましたが、その体験も、私がフランスで会社を起こすにあたってはすごく大事なことでした。

留学中は絶対負けないぞという気持ちでいました。勉強の面でも生活の面でも、そこでやると決めたら、しっかりと自分の力で切り開いていく強い志を持たざるを得なかった。それがあったからこそ、もう一度フランスでチャレンジしたいと思いましたし、あの2年間で自信が付きました。人生を変えた2年間だったと思っています。

──理工系の学生の多くはアメリカ志向が強いようですが、フランスに行こうと思った理由は何ですか。

稲川 フランス語という違う環境でやることで自分にエッジを立てて、自分の力で生きていきたいという思いがありました。フランス語も英語もしゃべれて、エンジニアリングやビジネスが分かる人は日本人に多くないので、海外でやる上で日本人として差別化をはかりたいと意識していたんです。端的に言うとあまのじゃくだったからですね(笑)。他の人とは違うことがしたい。それは会社を起こすことも同じことでした。

留学時の友人関係が今、すごく役立っています。フランスで会社を起こした中で、金銭やビジネスの利害関係が全くない、2年間同じ釜の飯を食って過ごした友人が現地にいるのはすごく心の助けになっています。

「リスクを取る」ことの大切さ

──委託醸造先として最初に稲川さんが契約された酒蔵は山形県鶴岡市でしたね。

稲川 実は、鶴岡にまだ本社を置いています。スパイバーの関山和秀さんなど、純粋なマインドセットでやっている起業家たちがたくさん集まっているすごいところだなと思って刺激を受けました。また、山形県は酒造りがすごく盛んな地域だったので、当初、お金もなくて蔵を持てなかったので、とにかくまずはお酒を造ってもらおうと、移住して鶴岡でやっていました。

──現役の塾生に何か先輩としてメッセージを送るとしたら、どんなことがあるでしょうか。

稲川 慶應の素晴らしいところは、横のネットワークがすごく広くてチャンスがたくさんあることです。海外留学などのチャンスを無駄にせずに摑み取ってほしいと思います。国際的に活躍できる、国際的な視点でものを見て活躍できる人間がもっと増えて、願わくばスタートアップ企業として海外市場でビジネスをやってほしいです。

──もし稲川さんの第2の母校でもあるエコール・サントラルに呼ばれて学生たちに向けて何か一言と言われたら、グローバルに活躍する場にいる先輩としてどういった言葉を送りますか。

稲川 1つだけ、「リスクを取れ」と言いたいです。慶應から留学をする時にも僕はリスクを取ったと思いますし、そのことによってリターンがあったし、すごく学びがありました。会社を起こした時も同じです。結局リスクを取らないと新しいことができない。でも、新しいことをやることによって自分が学びを得て、社員も学びを得て成長しました。リスクを取ることは尊いことで、それができれば社会的に大きなインパクトを生むような結果につながると思っています。

──これから会社をどんどん大きくされていくと思うんですが、直近の目標はどういうところでしょうか。

稲川 フランス、そしてヨーロッパでのマーケットを数年以内にまずは10倍にしたいですね。そしてヨーロッパナンバーワンの酒メーカーになることで世界進出し、WAKAZEを知らない人はいないというぐらいまで伸ばしていきたいと思います。

その時に大事なことは、やはりグローバル企業になっていくことです。今もイタリア人、チェコ人、フランス人、日本人、台湾人と多様なメンバーがいますが、英語化を推進し多様な文化を受け入れながら、グローバル企業に変わっていけたらと思っています。

──素晴らしいですね。ますますのご活躍をお祈りしています。

2020年2月、インタビュアーの小尾氏とフランスの酒蔵にて

(2021年8月12日、オンラインにより収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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