三田評論ONLINE

【話題の人】
櫻井 翔:「独立自尊」の気風が育んだ 嵐の20年

2020/05/15

忘れられないファンからの手紙

──幼稚舎5、6年でラグビーをやっていて普通部はサッカーでした。どうしてサッカーに転向したんですか。

櫻井 僕らの世代は小学校5年生の時にJリーグ開幕で、もうサッカー一色だったんですよ。でも、幼稚舎はサッカー部がなかったから、皆ラグビー部に行ったんです。

ただ結果として、好きなものしか選ばないよりはよかったですね。ラグビーならではの学びも経験でき、たった2年だけですが、触れることができてよかったなと本当に思っています。

──それが昨年のワールドカップのスペシャルサポーターに結びついたわけですね。「news zero」では、本気で選手に当たっていって、壊されるんじゃないかと思った(笑)。

櫻井 嬉しかったですね。幼稚舎でやっていただけなのでおこがましいですが、やはり心のどこかに、ルーツ校と言われる慶應義塾で、2年間タイガージャージを着てラグビーをかじっていたという思いがあったので、その30年後に自国開催のラグビーワールドカップに携われることは喜びでした。

──ファンの方からの手紙などで今でも覚えているものはありますか。

櫻井 デビューして間もない頃、九州のファンの女の子で入院している子から手紙が来たんです。重病だったんですが、天井に、まだ有名ではなかった僕らのポスターを貼ってくれて、嵐の曲をかけると心電図が反応するというんです。

結果的にお亡くなりになってしまったんですが、このことが自分の中でこの仕事をやる上で、最初に感じたモチベーションになっています。自分たちの歌だったり、音楽だったりが、人の力になるんだと思った最初の出来事でした。それは強烈な原体験ですね。

──いい話ですね。キャリアも20年になりますが、後輩を育てるという意識はありますか。

櫻井 この5年ぐらいでやっとその意識が出てきましたね。育てるというのとはちょっと違いますが、もし自分の経験が何か参考になるなら伝えてあげたいと思っています。「そうしなさい」と言うのではなく、「こんなケースの時は、僕の場合Aパターンだった」と説明すれば、「じゃあ、自分はBにしようかな」とも思えるでしょう。

特に那須(雄登)君(慶應義塾大学1年。ジャニーズJr.「美少年」メンバー)は、今まさに学業と芸能活動を両立しようとしています。でも彼、とても頭いいから、あまり参考にならないかと思いながら話しています(笑)。

──那須君も中等部、塾高から経済学部です。やはり自分の先を行く慶應の先輩にすごく憧れているのを感じますよ。

櫻井 嬉しいのが8割ぐらいですが、ほんのちょっと罪の意識もありますけどね。こんなモデルケースを作ってしまったから。でも、その思いに恥じないようにしなければと励みになりますね。

──これからのますますの活躍をお祈りしています。今日は有り難うございました。

(2020年3月17日収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事