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櫻井 翔:「独立自尊」の気風が育んだ 嵐の20年

2020/05/15

キャスターという仕事への考え

──キャスターを務められている「news zero」について伺いたいと思います。2006年からで、今年でもう足かけ15年ですか?

櫻井 そうです。週に1回の出演ですが、テレビ局のスタッフも含めて一番長くなりました。ニュースキャスターは、2001年の「9・11」で、一体世界に何が起きているんだろうと気になったことが、きっかけの1つです。なぜそもそもアメリカがそんな攻撃をされるのかが勉強不足で分からず、それを調べ始めたんです。

もう1つは、それこそ、有り難いことに親に慶應義塾に入れてもらった中で自分は芸能界に身を置いているから、という理由です。慶應義塾大学を出たということを、自分の仕事に還元できるものがあるのではないかと考えた時に、キャスターのような仕事ができるのであれば、と思ったんですね。

当時24歳でしたが、幸運にもそんなお話をいただけました。

──キャスターに関しては基本は独学ですか。やはり本を読んだり?

櫻井 いや、あまり本は読まないですね。もう「現場で学ぶ」という感じです。僕はいわゆるアンカーマン的に自分の主義主張や意見を言うという立場ではないと思っているんです。

キャスターの仕事を始めて間もない時に、福澤朗アナに「キャスターというのは名のとおり椅子に付いている回転するキャスターだから、人から人へ、テレビの中から視聴者へつなげていく役割なんだよ」と言われ、自分の中で、その言葉はストーンと入ってきました。「僕はあくまで被災地に行って、被災者の方の声を多くの人に届けよう」と。例えば働き方改革の話でも、僕は社会人経験がないからよくは分かりませんが、だからこそ「そんなことがあるんですね」と視聴者の人に伝えられるかもしれない。

そのように、自分は1つの声を、より多くの人に「伝える、つなげる」役割だと思っています。

──まさに慶應義塾の実学という感じですね。櫻井君は慶應義塾で幼稚舎から、「独立自尊」を教わった。そして、ジャニーズ事務所に入ると、「ショー・マスト・ゴー・オン」ですね。この2つに共通するところや響き合うものはありますか?

櫻井 難しいですね(笑)。ただ、他の何かを真似るのではなく、自分が自分であること、それこそ独立自尊かもしれませんが、そこは大事にしたいと思います。一方で影響は多分に受けていいとは思っているのですが、真似ではなくオリジナルであることが重要で大切にしたいと思っています。

──その姿勢は新しいものに挑戦していくことにもつながっていますね。ツアーではピアノも弾いたりもするんでしょう?

櫻井 本当に先生、よくご存じで(笑)。3歳ぐらいから小学3年生までエレクトーンを、4年生から中1までピアノを習っていたんです。30歳になった頃、せっかく子どもの時にやっていたので習い直したんですね。

ファンの人に喜んでもらい、一緒に歌ってもらうのが主な目的ですけど、少しだけ親への餞(はなむけ)という気持ちもありました。子どもの頃にピアノを習わせてくれた親に、30年後に東京ドームでピアノを弾く姿を見せることで、自分の中で整理がつくというか。

──本当に優しい心配りや気遣いができる人ですね。今日のネクタイは昨年お食事をした時に差し上げた塾高同窓会が作ったネクタイですが、早速その次の月曜日に「news zero」で締めてくれて。こういった人に対する心配りというのは、あまり習ってできるものではないですよ。

櫻井 本当にまわりの人に助けてもらいながら自分はやってきた、というところは大きいかもしれないですね。

国民的行事に臨む思い

──櫻井くんは、オリンピックが6大会連続メインキャスター、そして紅白歌合戦の司会をもう6年ほど務めている。そして昨年の天皇御即位の国民祭典と、本当にここのところ国民的行事には嵐が付き物ですね。プレッシャーはありますか?

櫻井 いや、プレッシャーとかはまったくないですね。基本的には光栄で、最大の誉れだなと感じるだけです。自国開催のオリンピックのお仕事をいただくとか、陛下の式典のお話を最初にいただいた時は、信じられないというか、事が大きすぎて実感がなかったですね。高校3年生の時には、想像もしなかった未来です。

──そうですよね。映画にも時々出られますが、僕は『神様のカルテ』が好きなんです。宮崎あおいと夫婦で、つつましやかでいいなあと。映画を撮っている時はグループ活動は少しお休みするんですか。

櫻井 いわゆるテレビのレギュラー番組は並行してやっています。僕らは芸能界においては、ある意味特殊で、基本的にはずっとテレビのレギュラー番組があり、かつ毎年ツアーもやらせてもらっている。あくまでグループ活動という土台があって、映画などもできるというところもあるんですね。

──そうすると睡眠時間も極端に少ない時もあるでしょう。年間に完全フリーのお休みなんてあるんですか。

櫻井 あまり多くはないですが、ありますよ(笑)。特に今は働き方改革ですからね(笑)。年齢もありますが、若い時とは違って、きちんと一定のペースで休みをもらっています。だから本当にいい働き方ができていると思います。

──今年の12月31日でグループは一旦休止となります。そこから先の未来は考えられているんですか?

櫻井 正直、まだ考えられていなくて(笑)。この2020年は、嵐じゃないとできないことを突き詰めていかないと、と思っています。12月31日までに嵐としてやりたいことはいろいろありますが、来年以降のことは、まだ具体的に考えられません。一方、ちょうど年齢も39になるので、やはり同級生を見ても転職する人もいるし、次のステージに行くタイミングなんだな、とは感じます。

──同級生の異業種の人たちとの付き合いで何か学ぶことはありますか。

櫻井 しばらく前、大学1年生の時のクラスメートと飲んだ時は面白かったですね。頻繁に会っている仲間だと、込み入った話はしないんですが、卒業以来はじめて会う連中だと、こんな仕事して、転職して、今こんな仕事していると、15年分ぐらいの人生がそれぞれ分かるので、「ああ、こういう生き方もあるんだ」と刺激になりました。

──今度は何か自分で書くとか、つくるとか、そういう興味はあります?

櫻井 あまりつくり手側にはなれないと思っているのですけど、何かを書くとかはあるかもしれないですね。文章を書くのは幼稚舎の時も、作文が好きだったので。

──さて、今年の紅白歌合戦はたぶん出演しているでしょう。でも、年越しのカウントダウンは出演するのでしょうか(笑)。

櫻井 芸能レポーターみたいな質問ですね(笑)。今ちょうど考えているところですが、それは未定です。大晦日の23時59分59秒までをどう過ごすか。僕らを応援してくれている嵐のファンに向けて何ができるかということが、ファーストプライオリティです。アイデアはいくつもあるのですけれど、どう着地させようか、まだ決まっていないですね。

──ひょっとすると、中学生以来の元旦を両親と迎えるということもあるかもしれない。

櫻井 確かに。いやあ、もう『あしたのジョー』みたいになっていると思いますけどね。燃え尽きて(笑)。

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