【演説館】
大松 康:自分らしくいられる学校のカタチ
2024/07/18
「窓」になる
小さな子どもにとって、大人とのグラデーションはとりわけ特別であると考えます。ちょうど「胎盤」がお母さんからの酸素や栄養を胎児に届けるように、子どもたちは身近な大人との関わりから色々なものを吸収します。大人も子どもも、本来、何を学ぶか自分で「選べる」存在。誰もが「自分である」ままに変化、成長できるはずです。大人が子どもに何かを伝えたい時、ついつい「指導」や「評価」をしがちですが、実は、大人は大人として、子どもは子どもとして、それぞれが自分としてグラデーションを豊かに育む中でこそ大人たちの文化は子どもの人格に「選択的に」伝承されていくと信じています。
産の森学舎は、築80年の元牛小屋をスタッフが自分たちで改修しながら使っています。床の張替えなど大掛かりな作業を、子どもたちが過ごしている横で敢行することもあります。私も他のスタッフも木工や大工仕事が好きですが、たくさん失敗するし、葛藤もしばしばあります。
そんな時、子どもたちは大人の態度を実によく観察しています。「まずやってみよう」「失敗したらやり直せばいいのだ」というメッセージは、言葉ではなく大人の態度から受け取り、文化として伝承されています。
産の森学舎では、現在6人の大人が講師として午前中の「授業」の時間を担当しています。私が担当する授業は「もじ」と「かず」。絵本や紙芝居をつくったり、トランプの新しい遊び方を考えたりしながら、子どもたちに「もじ」や「かず」に触れてもらうワークショップのような内容が主です。
子どもたちに伝えたいのは「知識」のみではなく、私自身が大好きな「もじ」や「かず」とどのように向き合い、そこにどのような楽しさを見出しているのかという「熱」です。私のほかに、アートが好きな大人、本が好きな大人、農作業が好きな大人、書道が好きな大人、生き物が好きな大人が、それぞれ好きなこと、得意なことを持ち寄って、子どもたちに熱を伝える時間を提供してくれています。
もちろん大人の熱が伝わったところで、ただちに子どもたちが「もじ」や「かず」や「生き物」を好きになるというわけではありませんが、大人が世界を楽しんでいる姿は、彼らにとって世界を覗き込む「窓」になり、もし興味が湧けば子どもたちは軽々とその窓を越え探求を始めます。こうして、「子どもと大人」との間に育まれたグラデーションは、しばしば「子どもと世界」をつなぐグラデーションへと姿を変えていくのです。
毎朝登校してくる子どもたちの笑顔、交わす挨拶、「やすさんきいてよー」と始まる何気ない会話、それらすべてが私と彼ら1人1人との間のグラデーションを日々育み、私はこの上なく幸せだと思い知らされるのです。大人も子どもも、ありのままの自分でいられることがどれだけ幸せでかけがえのないことか。自分らしくあること、自分の意見を持つこと、自分の力を発揮することの喜びを知っている子どもたちは、彼らが出会う先々で新たなグラデーションを生み続けるでしょう。
「教育を受ける権利を有する」という日本国憲法の文言は、「ひとりひとりが、自らの人生を生きる一個人として大切にされなければならない」という決意の一環です。もう一度その根っこから意味を問い直せば、「教育」や「学校」はこんなにも幸せな人たちを世界に送り出し続ける心臓になれるはずなのです。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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