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【演説館】
石川幹子:近代日本の名作・神宮外苑の危機

2022/06/09

原点への回帰

それでは、「近代日本の名作」である神宮外苑を守るには、どのようにしたらよいのでしょうか。都市計画決定は行われてしまいましたので、覆すことは至難の業です。時間との闘いとなり、樹木の伐採は進んでいきます。困った時は、原点回帰が原則です。社会的共通資本としての都市の緑地の原点は、「人と生き物のための空間」です。

1858年にオープンした近代公園の曙であるニューヨークのセントラルパークは、歩道、乗馬道、馬車道、都市間横断道路を立体交差させ、安全で快適な公園を創り出してきました。

日本イコモスはこの原則にしたがい、すでにオリンピックで都市幹線道路は整備済みのため、外苑内の特別都道四谷角筈線(銀杏並木の中央の車道等)を、緊急時等を除いて歩道にすることを考えてみました。その結果が、4月26日に都に提出した図3の「近代日本の名作・神宮外苑」再生案です。

図3 日本イコモス案(「近代日本の名 作・神宮外苑」再生案、2022年)

外苑内を安全な歩行者空間にすることにより、ゆったりとしたスポーツ施設の配置が可能となりました。神宮球場は、車道の位置まで内部に移設することにより、杜の神宮球場として再生が可能となります。高層ビルに囲まれた神宮球場よりも、遥かに魅力的な球場となります。秩父宮ラグビー場は、現地再建を行えば、最高の立地の伝統と格式を継承することができます。この計画では樹木の伐採は、奇跡的ですが、2本で可能となります。

神宮外苑の意匠は、「近代都市美・風景式庭園」で、ヴィスタ(通景線)を通していることに特色があります。現在の青山口から絵画館に至る主軸となるヴィスタに、スタジアム通りから芝生広場に抜ける、新しいヴィスタを導入することにより、さらに懐の深い都市の緑地へと、展開していくことが可能となります。

歴史の重層する空間を破壊することは、開発優先の社会にあっては、容易に行われてきました。過ちを繰り返さないことが、私たちの時代に、課せられた最小限の義務であると考えます。

慶應義塾の貢献

神宮外苑の1世紀の歴史において、慶應義塾は大きな役割を果たしてきました。東京6大学野球の本拠地として、神宮球場の建設・拡張にあたっては、多大な寄与をしてこられました。また、外苑に隣接する慶應義塾大学病院は、勤労奉仕を行った青年団の疾病者治療に多大の便宜を与えたと、記録されています。

小泉信三は、最晩年まで熱心に神宮球場に通い、シーズンが終わり「ではまた秋に」と別れる時、「健闘した青年等に幸い多かれと思う心を切ならしめるひと時であるが、そのひと時を実に愛する」と記しています。

歴史ある神宮外苑が、このような危機的事態に直面しているのは、広大な内苑の杜の維持に要するコストを、神宮球場の収入から捻出していることに起因します。老朽化した神宮球場の建て替えが喫緊の課題となっているのです。都市の緑地に係わる費用を、誰が、どのようにして支払うのか、という根源的な問いが投げかけられています。1世紀前に荒野の中から先人たちが創り出してきた「社会的共通資本」を継承していくための叡智を、再び塾員の皆様に期待したく存じます。

〈参考資料〉

内務省神社局『明治神宮内苑誌』(昭和5年)、明治神宮奉賛会『明治神宮外苑志』(昭和12年)、神宮外苑地区のまちづくり(東京都都市整備局)、小泉信三「大学野球」(『練習は不可能を可能にす』所収、慶應義塾大学出版会、2004年)、山内慶太「神宮球場」(加藤三明・山内慶太・大澤輝嘉編著『慶應義塾歴史散歩(全国編)』所収、慶應義塾大学出版会、2017年)。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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