三田評論ONLINE

【演説館】
竹内 純子:プリンシプルのない日本の電力システム改革 ――電力安定供給と自由化を考える

2021/05/19

電気代の価格の「上下」はどこまで許容されるのか

自由化の本質とは、料金が上下に変動することで需給調整が行われることにある。しかし、逆進性が高い電気料金が高騰すれば政治問題化し、市場に委ねたはずの需給調整システムに政治・行政が再び介入することとなる。わが国でも1月の価格高騰によって、変動する市場価格に連動した小売り料金メニューを選択していた消費者の電気料金が急騰し、国会での質疑でも取り上げられた。しかし価格上下による需給調整は市場原理の根本だ。

本来小売事業者がリスクを十分説明した上で消費者がそのメニューを選択したのであれば、政治が介入すべき理由はない。市場価格が安価な時にはメリットも十分にあったはずだ。一部小売事業者への支援の必要性も議論されているが、リスク管理によりダメージを回避できている事業者も多い。仮にも市場原理を導入した市場に政治・行政が介入するのであれば相当の大義が必要だろう。

なお、大手発電事業者の売り惜しみや発販分離が不十分な市場構造を指摘する声も聞かれる。しかしそれは問題の本質ではない。そもそも発電会社は自社の契約する顧客への供給義務は負うが、契約関係のない消費者の使用分を発電する義務はない。高騰しているスポットの液化天然ガス(LNG)を調達してまで追加的に市場に投入する義務はない。発販分離を徹底したとしても、発電会社と小売り会社が相対で契約すれば結果は同じである。むしろ、電力という途絶すればクリティカルな事態に陥る財を、1日前に市場で買えば必ず調達できるというビジネスモデルを認めることの方がリスクを高めている。

そうしたビジネスモデルに立つ新規参入者を増やすことが真に消費者に利益をもたらすものなのかの検討が必要であり、陰謀論は本質的議論をゆがめるだけだろう。

資源に乏しいわが国の電力システム改革に欠けていたもの

年初に起きた電力需給ひっ迫と卸市場価格の高騰は、これまでのわが国の電力システム改革の議論に大きな欠陥があったことを露呈した。需給ひっ迫の原因は複合的ではあるものの、原子力発電所の停止に伴い、わが国の電力供給がLNGという貯蔵に適さない燃料に過度に依存していたことが主因であることは間違いない。これまでのシステム改革の議論では、欧米の先行事例に学び、発電設備が提供する3つの価値をどう確保するかという議論は行われていたが、燃料調達が十分でなくなった時の制約についてはほとんど議論されてこなかった。これほど化石燃料資源に乏しく、「油に始まり油に終わった」と評される太平洋戦争やオイルショックも経験したわが国において、燃料制約に対する備えが電力システム改革に組み込まれていなかったというのは、驚愕すべき危機感の欠如だ。エネルギー安定供給・安全保障の観点から、改めて現在の電力システム改革の総点検が必要だろう。

わが国の電力システム改革にプリンシプルを

震災前に慎重に進めてきた電力自由化を、震災後に一気に全面自由化したのは、何を目的にしていたのだろうか? 自由化を否定するわけではない。総括原価方式という形で投資の回収が確保されたスキームでは、設備投資が過剰になりがちだ。社会が右肩上がりでどんどん設備を作らなければならない時代ならいざ知らず、停滞期に入った社会においては効率化を促す仕組みを入れることは合理的だ。しかし、市場原理のメリットを求めるなら、リスクも許容せねばならない。わが国のシステム改革にそうしたプリンシプルはあったのだろうか。

加えて、わが国は原子力政策の大幅な見直しというもう1つのチャレンジも同時に進行させた。米国や英国などが最も頭を悩ませたのは、自由化市場に原子力発電という巨額の投資を必要とする超長期の事業をどうソフトランディングさせるかということであったが、わが国では無邪気にも原子力政策を放置して自由化を進めた。莫大な安全対策コストをかけても稼働しない原子力発電を抱え、同時に自由化への対応に追われた大手電力会社の体力低下は著しく、一部の地方電力会社の格付けはBBBにまで低下している。この状況でわが国の電力事業は気候変動、災害の激甚化、人口減少・過疎化の進展といった大きな社会の変化トレンドに対処せねばならない。

こうしたメガトレンドを乗り越え、より良い電力システムを将来の日本に遺すためには、改めて改革のプリンシプルを定義することが求められるのではないだろうか。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事