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【演説館】
紀田順一郎:さまよえる個人蔵書

2018/01/01

継承されにくい個人蔵書

あるとき、故人で文藝評論家の遺族により、没後20年ほど処分せずにおいた相当量の旧蔵書を、将来を考えて寄贈したいという申し込みがあったが、「重複本が多い」という理由で謝絶せざるを得なかった。故人は大学の教員でもあったので、関連施設への寄贈も打診したと思われるが、没後の年数が経過しているのを理由に、受け入れを断られたのだろう。改めて見渡すと、高度成長期に雨後の筍のように生まれた公共文化施設は、バブル崩壊後はいずこも劇的な予算削減に見舞われ、息も絶え絶えとなり、篤学の蔵書など、見向きもされない情勢となっていた。この蔵書は、さいわいにも故人が短期間に出講した大学へと引き取られることとなったが、一時は海外流出も懸念される状況だった。

この1件以来、私は自分の蔵書の将来に不安を感じるようになった。築後40年以上の自宅は老朽化が目立ち、妻は病に悩まされるようになり、私自身も急速に体力が衰えてきたので、このさい思い切って地方移転を検討することにした。途中の経過は省略するが、阪神大震災の直後に岡山県下のニュータウン造成地に広々とした書庫と書斎付きの住居を設け、一時は大変幸せな気分を味わったのであるが、好事魔多し、バブル崩壊でニュータウン造成が中絶し、日常生活も不自由になると予測されるようになったため、尻尾を巻いて逃げ帰るという始末。しばらくは落ち込んだ。

このとき、新居には一万冊の本を運び込み、それをまた運び出すというムダな作業を繰り返したことになるが、その戻す段階で当惑したのはスペースの問題である。もはや鉄筋の家に一万冊もの本を戻し入れる余裕はないので、若いときから懇意の古書店に頼み込み、都内の倉庫に一時保管してもらうことにしたのだが、大混乱の中、あらかじめ処分してもよい書目と、そうでない書目とに分別するという基本的な方針が徹底できず、書店側に迷惑をかけるという結果となってしまった。

もう1つ、大量の書物の移動にあたり、棚からおろして2、30冊ずつを1箱に梱包し、さらにはそれを開披するという作業が、高齢者にとっていかに重労働であるか。経験しないとわからない。人に任せるのはいいが、箱の中身をわかるように記録するのは、結局本人以外にはないので、全体の作業量はほとんど減らない。体力の衰えで、自分の本の整理ができなくなったときが、いわゆる一巻の終わりなのである。

私の蔵書が、万策尽きて断捨離を余儀なくされ、手許の600冊をのこして散逸させてしまったのは、それから4年後で、私は80歳に達していた。世間からは「もういいでしょう。あきらめなさい」といわれそうな年齢であるし、事実あきらめたのであるが、未だに脳裏を去来するのは、果たして散逸以外の選択肢はなかったのかということだ。いうまでもなく、心当たりの施設や出版社、それに知友の意向なども探ってみたが、「スペースの確保ができない」「手が足りない」といった理由で、埒があかなかった。本のトランクルームに預けることも考えたが、経費の点で不可能と知った。日本の狭隘な住宅事情のもとでは、蔵書家の苦しみといえば最終的にはスペース確保の困難性に帰着するといってよい。

ともあれ、蔵書とは、1冊ごとに所蔵者の思いを刻んできたものの蓄積であるから、愛着を抱くのが当然であり、自らの没後の継承性を願わない者があるとは思えない。それに継承性こそが書籍に備わった本質的な性格であることは、奈良時代の芸亭(うんてい)のように、個人蔵書が発展して図書館や文庫に育ったという、歴史に照らしても明らかであろう。このような他の媒体に例を見ない書籍文化の維持は、現代の社会に課せられた責務ではないだろうか。活字文化の衰退と関わり、懸念されることだ。


※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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