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【Researcher's Eye】
荒井 規允:正の循環への糸口

2026/02/18

  • 荒井 規允(あらい のりよし)

    慶應義塾大学理工学部教授
    専門分野/分子シミュレーション

研究室の予定表に「インターン」や「説明会」などの言葉が並ぶ季節がいつの間にか長くなりました。学生が学業や研究に集中する時間が削られ、結果として企業も「大学で何を学んだか」を深く問えない──そんな空気をひしひしと感じます。短期の企業体験が実質的な就活の前倒しを招き、教育研究の時間を奪い、優れた人材の供給や産業競争力にも影響し得るように思います。

この状況は、大学・学生・企業の三者の信頼を弱め、「不十分な教育」「学修以外の時間」「不信感」が回る負の循環を生んでしまいます。では、どこで流れを変えられるのか。海外では、大学での経験や業績をベースに選考が行われ、トップカンファレンスでの研究発表がそのまま交渉の場になることもあると聞きます。日本でも優れた発表は数多いのに、就職活動と結びつきにくい。この"ねじれ"をほどく鍵は、採用の議論を「ポテンシャル」から「実績」へ少しでも移すこと、そして企業と大学が普段から接点を持つことだと思います。

私の専門は、洗剤や化粧品、食品など身近な製品に使われるソフトマター材料を、コンピュータシミュレーションとAIで理解・設計する研究です。ソフトマターは産業で早くから活用されてきた一方、分子運動が遅く複雑で、流れや変形など非平衡現象が支配的なため、理論だけで性能を予測するのは容易ではありません。だからこそ、理論と計算、実際の開発を行き来できる高度人材が欠かせません。すべての日本企業が高度人材を必要とするのか、正直わからない面もあります。しかし少なくともこの分野では「深く学ぶこと」が競争力に直結します。

そこで立ち上げたのが、ソフトマテリアル工学シミュレーション研究会(SMECS)です。ソフトマター、シミュレーション、AIを軸に、学術界の信頼を回復し、相互利益を目指す場です。討論会では「この分野で30年後どうなっていたいか」から逆算して「今何をすべきか」を議論します。学生は研究成果を磨き、企業は未来の同僚を見つけ、大学は社会実装の課題を学びの素材にする──三者が同じテーブルにつく小さな成功例を増やしたい。採用も教育も長距離走です。その覚悟を共有したい。負の循環を断ち切る最初の糸口は、意外と身近な研究会の雑談から始まるのかもしれません。

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