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【Researcher's Eye】
河野 暢明:生物学のマッチポンプなロマン主義

2026/01/20

  • 河野 暢明(こうの のぶあき)

    慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授
    専門分野/ゲノム科学、合成生物学

「御殿の鼠と田舎の鼠の事」─福澤諭吉が『童蒙をしへ草』で訳したイソップ寓話の1つである。華やかな世界と素朴な世界はいつも異なる真実と隣り合わせにある。

人工知能の華やかな進歩は、私たちの想像を軽々と追い越し続けている。文章・動画作成から研究の壁打ちに至るまで、属人的で人間らしい営みだったプロセスは軽々と生成AIに置き換えられ始めている。動画ですらウォーターマークがなければチューリング・テストをパスする。

そして今や、生成AIの対象は「自然言語」にとどまらず、生命の設計図たる「ゲノム」へも踏み込んでいる。ChatGPTよりも格段に多くのトークンを処理できるEvoはまるで本を書くようにゲノムを書き上げることができる。世界中が必死になって読む事に挑んだヒトゲノム計画から約20年、唯一のゲノム作家であった「進化」にAIが並び立った。

我々生物学者にとって、いつか生命を創出できたときにこそ、生命を理解した実感が得られる。そんな願望もあった。生命は有史以前より当たり前に存在していたもので、創作者たる進化にこそその設計原理が眠っていると信じてきた。しかし今、生命の設計図は半導体からも書き出される。やがて私たちは自ら作った人工生命とAIの生み出す未知の存在、その両方の謎を解き明かすという奇妙なマッチポンプに向き合うことになるのかもしれない。

一方で素朴な自然は全く異なるテンポで驚きを差し出す。ある昆虫で聴覚器官と信じられていた構造が、実は有用なカビの棲み家であり、卵を守るための防衛共生器官であった、という観察報告が静かに世界を揺らした。AIが生命を設計する時代に、野外で虫眼鏡を構える研究者が自然の側から真理を引き出す。この落差に、かつて機械哲学に対峙して生まれたロマン主義時代の生物学を見る。

そして私は、再び寓話を思い返す。AIが示す合理的な推論と、自然の中でしか気づけない素朴な発見。互いに帰納と演繹を繰り返しながら行き来し続けること自体が、どこかマッチポンプのようでもあり、ここに生物学らしさを感じる。効率に寄りかかった機械哲学だけでも、感傷に委ねるロマン主義だけでも届かない。これからの新しい生物学の幕開けを、まさに実感できる時代に我々は運良く生きているのだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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