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【Researcher's Eye】
大石 尊之:白銀の轍

2025/12/16

  • 大石 尊之(おおいし たかゆき)

    明治学院大学経済学部教授・塾員
    専門分野/法と経済学、ゲーム理論

冬が近づくと、脳裏に浮かぶ言葉と景色がある。こな雪、つぶ雪、わた雪、みず雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪。太宰治『津軽』に出てくる7つの雪だ。私が大学教員として最初に赴任したのは、八甲田山麓の小さな大学だった。こぢんまりとしたキャンパスには、箱庭のような美術館があり、雄大な自然に抱かれて佇んでいた。7年間の青森暮らしで、私は7つの雪をすべて経験したかは自信がないが、白銀の世界そのものが私の生活の一部だった。朝から夜まで研究室で仕事をし、帰る頃には駐車場の車が雪に埋もれて姿を消している。高倉健と北大路欣也が主演した映画『八甲田山』の雪原の光景は、さながら私の日常であり、自然への畏敬と、人間の小ささ、そしてそれを超えようとする人間の強さを知った。

ある朝、猛吹雪のため不要不急の外出を控えるよう呼びかけるラジオ放送を聞き、さすがに学生は来ないだろうと思った。だが、教室にはほとんど全員がいた。雪の中を慎重に車を走らせ、薄明の街道を越えてきたのである。窓の外は猛吹雪。それでも教室の中には、静かな熱気があった。私は胸の奥で頭(こうべ)を垂れた。

そんな学生たちの身を案じた日がある。忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災が発生した日だ。初めて受け持ったゼミの1期生8名は青森県、岩手県、宮城県の出身であった。当時は春休みで多くの学生は帰省中。地震発生直後から、地震の影響で停電した市内には雪が降り始めていた。停電した暗闇のなか、雪明りを頼りに操作したラジオからとめどなく流れる、信じられない被災地の状況を聞きながら、私は学生たちに心からこう願った。──どうか無事でいてくれ。伝えたいことが、まだたくさんある。あの破壊的な時間の濁流のなか、幸いにも学生は全員無事であった。

この日以来、私は「未来の若者に何を伝えるか」を、研究と教育の核に据えてきた。研究者とは、どんなスタイルであれ、追い求めた真理を未来に語り継ぐ存在である。あの凛とした冬を思い出すたび、私の脳裏には"研究という白銀の世界"が広がる。その世界に、先人たちの残した無数の轍を見つめながら、自らの小さな轍を刻み、風雪に抗いながら、なおも前へと歩を進めていきたい。そう、劇中の高倉健のように。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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