【Researcher's Eye】
新沢 典子:天平と現代の交錯する場所
2025/12/09
奈良の事情に詳しい古代日本文学研究者によると、今秋の奈良市は大仏開眼以来の賑わいだそうだ。
大阪・関西万博閉幕直後という事情も関係していようが、何より今年は、明治8(1875)年に東大寺大仏殿で開かれた第1回奈良博覧会から150年目にあたる節目の年なのである。
東大寺の境内は実に国際色豊かで、使用言語の異なる人々が入り乱れている。8世紀中葉までの歌を収める『萬葉集』という和歌集には、「韓」や「百済」に掛かる「ことさへく」という枕詞が見える。不明な言葉をかまびすしく話すという意味の語であり、ヒアリング不能な言葉をうるさく感じてしまうのは古も今も変わらないようだ。
人波の向こうに大仏殿を見上げつつ、「華やかな衣の色が一面に地を埋めて、東大寺の伽藍はこの色の海に浮いていた」(和辻哲郎『古寺巡礼』)といわれる大仏開眼会の熱狂にしばし思いを馳せてみる。
天平勝宝4(752)年4月9日、東大寺廬舎那仏(るしゃなぶつ)の開眼会が盛大に行われ、渡来僧である菩提僊那(ぼだいせんな)が導師となり、巨大な筆と墨を使って大仏の眼を点じた。開眼により廬舎那仏は見える世界を仏法によって支配する存在になるのだという(栄原永遠男「大仏開眼会の構造とその政治的意義」)。
法会(ほうえ)では、雅楽寮と諸寺の音楽及び王臣諸氏の伝える日本古来また外来の歌儛が披露、奉納された。『続日本紀』にはその様子が「作(な)すことの奇しく偉(たふと)きこと勝(あ)げて記すべからず。仏法東に帰りてより、斎会(さいえ)の儀、嘗(かつ)て此の如く盛りなるは有らず」と筆録者の感動溢れんばかりに記されている。
正倉院宝物の中には、この時に使用されたと伝わる特大の筆と、その際、筆に結び付けられたという縹(はなだ)色の撚糸(縷(る))が残る。人々は筆から伸びた縷を各々手に取って大仏に祈りを捧げたのだという。
その巨大な筆と縷を展示した正倉院展もかなりの混みようで、展示ケースを背中越しに覗き込むしかないのだけれど、ひとたび実物を目にすれば、自分のことを棚に上げて「うるさい」「人が多すぎる」と託っていた先ほど来の気分も吹き飛んで、共に縷を目にする人たちと連なって大仏に導かれているような不思議な心地になるのであった。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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新沢 典子(しんざわ のりこ)
慶應義塾大学文学部教授
専門分野/ 国文学