【Researcher's Eye】
長野 晃:政治哲学を教えること
2025/10/14
私は「政治哲学」なる学問分野を専門とし、この名称をもつ授業を毎年担当しています。もっとも、何をいかに教えれば政治哲学を教えたと言えるのでしょうか。もちろん、この分野で頻繁に取り上げられるような根本問題や代表的な政治哲学者の学説について、一通り解説してみせることは可能です。しかし多くの学生は、そのような知識を得たところで、「そんな抽象的な問いに何の意味があるか分からない」という感想を抱くのではないでしょうか。
具体的な歴史的背景を考慮に入れれば、確かに理解は深まります。一見して抽象的な問いも、ある具体的な問題を何らかの仕方で解決しようと試みた人々の苦闘の痕跡と考えられるからです。実際私も、初学者向けの政治思想の基礎講義では、そのようなスタイルで過去の政治思想を解釈する授業をしています。もっともそうなると、そこで問われていた問いは、あくまでも或る特定の思想家にとっての歴史的な問いとなり、それを理解すれば理解するほど、当の私たちから離れていってしまうことにもなりかねません。
では歴史を捨象して、厳密な概念を用いて理論を構築することに政治哲学の役割を見出すべきなのでしょうか。今日支配的な政治哲学は、このような方向に舵を切り、豊かな学問的成果を収めてきました。自らが用いる方法に意識的になれば、単なる世界観同士の衝突を超えた、意味のある論争が期待できます。そのような仕方で生み出されてきた最先端の知見を、現代的問題を手掛かりにしつつ紹介することにこそ政治哲学の授業の意義がある、という見解も当然あり得るでしょう。
もっとも私個人としては、政治哲学のそうした専門分野化については、どうにもアンビヴァレントな感覚を拭えないでいます。おそらく、専門分化が生じる以前の「哲学」観を捨てきれないからでしょう。政治学のどの領域においても専門分化が進んでいる今日だからこそ、政治哲学くらいはそこからはみ出すような何かであって欲しいという気がしないわけではありません。とりわけ学生が通常の政治学の学びに際して何らかの違和感を抱いている場合、それを少しでも明晰に言語化する手助けをすることは、政治哲学に課せられた重要な役割と言えないでしょうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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長野 晃(ながの あきら)
慶應義塾大学法学部専任講師
専門分野/ 政治哲学