【Researcher's Eye】
前田 建人:Y君のいたずら
2025/03/26

「前建(まえけん)さん、僕、今度の授業でスピーチするときの原稿書いてみたんですけど、読んでもらえませんか」
ある日の国語の授業を終えたあと、中等部3年生のY君が微笑みながら近づいて来た。ユニークな発想力を持つ彼はお世辞にも決して国語が得意とは言えなかったが、あらかじめ原稿チェックをお願いしてくるY君のついに芽生えた勉学へのやる気に私は嬉しくなり、快く読み始めた。しかし、すぐに私の微笑は苦笑に変わった。
「Y君、これ……、チャットGPT!」
「えっ、いやー、そんなことは……」
「Y君、別に怒ったりしないよ」
「はい! チャットGPTです」
爽やかな笑顔で白状するY君に悪気などもちろんない。ちょっとした興味本位でAIに原稿を書かせ、せっかくなので国語教師が見破れるか試してみたそうだ。こうした悪戯めいたコミュニケーションが私は嫌いではなかったから、周囲で見守っていたクラスメイトと共に笑い合ったのだった。
さて、もしY君がもう少し巧みにAIに指示を出していれば、私はこの文章が彼のものではないと断じることはできなかったかもしれない。むしろ、そう言い切ってしまって仮に私が間違っていた場合には、取り返しのつかない溝を生んでしまう可能性さえある。そんな危険はなかなか冒せない。
では、なぜ私はY君に対して、そのとき自信を持って断ずることができたのか。それは、Y君との日頃のコミュニケーションを通じて感じた彼の個性的な雰囲気や具体性が、その文章にまったく投影されていなかったからである。Y君がこんな無味乾燥なものを書くわけがないのだ。
ますます隆盛をきわめるAI時代に、国語教師は生徒の文章にどう向き合うべきなのか。少なくともY君との一件を通して、日頃からコミュニケーションを図り、その子らしさを知ることに努めるのが肝要であると再認識した。今思えば、私のもとに近づいてくるY君の爽やかに見えた笑顔も、何だかいたずらっ子の表情であったような気もしてくる。
人との関わりをもっとも大切にしている慶應義塾中等部という学校に奉職して14年。まだまだ青い私は精進あるのみなのだ(その後、Y君は彼らしい原稿を無事提出した)。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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前田 建人(まえだ けんと)
慶應義塾中等部国語科教諭
専門分野/日本近現代文学、落語