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【Researcher's Eye】
村上 好恵:遺伝/ゲノム情報と看護

2025/03/19

  • 村上 好恵(むらかみ よしえ)

    慶應義塾大学看護医療学部教授
    専門分野/がん看護学、遺伝看護学

2000年にDNAの90%が解析されたヒトゲノム計画により、遺伝性腫瘍も原因遺伝子の解明は進んだ。しかし、ヒトのからだは、1個の受精卵からの分化で成り立っているため、生殖細胞系列の遺伝情報は全ての細胞に存在し、全身の原因遺伝子を治療することは現時点では出来ない。したがって、特定の臓器で高頻度にがんを発症するリスクがある遺伝性腫瘍への対応は、生涯にわたり医療機関に通い、がんの早期発見のためのスクリーニング検査の継続と、がん発症前に臓器を摘出するという選択肢が、ガイドラインで推奨されている。

私は、大学院生の時に、家族性大腸腺腫症の患者さんに出会い、以後30年近く遺伝性腫瘍の方々とご家族への看護実践や研究を行ってきた。がんを発症しやすいという情報を知りながらも、その情報を活用せずに若くしてがんで亡くなる方や、本人が発症リスクの高い遺伝子を持っていることを知らずにがんで亡くなる方に出会い、どうにかせねばと心が動いたことを、今もありありと思い出す。

遺伝性の乳がんや卵巣がん、大腸がんなど、その臓器を摘出することは、日常生活への影響、アイデンティティへの影響などが大きく、簡単に決断できるものではない。しかし、若くして命を落とす方々と出会うと、医療者としては忸怩たる思いになる。命は1つしかない。情報を活用して、自分の人生を自分で選択してほしいと常に思う。

看護師は、医師のように手術をしたり薬剤を処方することはできないが、これから高まるリスクに関する正確な情報を伝え共に考えることや、自分の人生を満足のいくように生き抜いてもらうための支援を行うことができる。看護師、保健師、助産師である看護職が、遺伝/ゲノムに関する最新の情報を持つことで、どれだけ命が救われるか想像に難くない。

がんに限らず、様々な疾患に関する遺伝子の解明が進み、治療方針が大きく変革する時代に突入した。わが国の死因第2位の循環器疾患領域においても、様々な遺伝子の解明が進んでいる。特に、高齢心不全患者が大幅に増加する心不全パンデミックが予想されているが、これに至る前に対策を講じるべく、遺伝情報/ゲノム情報をより良く活用し、健康の維持を支援できるような看護職の育成が必要な時代である。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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