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【Researcher's Eye】
漆原 尚巳:真実でないリアルワールド

2025/02/19

  • 漆原 尚巳(うるしはら ひさし)

    慶應義塾大学薬学部医薬品開発規制科学講座教授
    専門分野/薬剤疫学

薬剤疫学は、医薬品の使用、安全性および有効性を研究する方法論の開発とその実践を通じ、人々の健康増進を目指す公衆衛生領域の学問です。評価したい医薬品の投与するしないを人為的に2つのグループに割り当てて、有効性安全性を比較する実験的な研究方法は介入研究と呼ばれ、主に医薬品の有効性の証明に用いられます。介入研究では、患者さんの来院を管理し、新たにデータを収集し、比較群間の特性を揃えることでバイアスの少ない結果が得られます。こうした実験的環境下で得られたデータは一般診療と異なり「非現実的」であり、一般化可能性に欠けるといった短所があり、薬の効果が出やすいことから「チャンピオンデータ」と言われています。一方、薬剤疫学は、実験環境ではない、日常診療下で発生する医療データを用いて、より「現実的」な評価を目指す観察研究を主な手法としています。

情報化社会の到来は、膨大な電子カルテ情報や保険診療報酬請求情報からなる巨大データベースの研究利用を可能とし、これらは介入研究へのアンチテーゼから「リアルワールドデータ」と呼ばれています。従来から観察研究で扱う情報源の一つですが、膨大な数の患者から新たにデータを収集するためのリソースとコストが削減できる一方で、実臨床下ですでに測定された検査値しかないため研究に必要な情報を取得できなかったり、ある医薬品の使用患者と非使用患者では特徴が異なるため比較にあたって常にバイアスが伴います。病院カルテ情報では、医療上のイベント発生を完全に把握できるのは入院中のみであり、他の期間での追跡は完全ではありません。診療報酬請求情報は保険請求と関係ない診療情報が欠け易いことが不都合を及ぼす可能性があります。

しかし、このような「リアルワールドデータ」の基本的な欠点を、単に限界として放置せず、疫学理論に基づき対応を行うことで科学的に妥当な研究成果に結びつけることができるのです。デンマークの「リアルワールドデータ」を用いた研究は、COVID-19患者での解熱鎮痛薬使用の安全性を証明し、世界の保健当局に大きな影響を与えました。私もデータの限界とバイアスへの対処方法を常に意識していますが、「ジャジャ馬を乗りこなす」感もこれまたおかしと思いつつ研究に勤しんでいます。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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