【Researcher's Eye】
桑原 夏子:知の世界を探検する
2024/12/09

2004年4月。慶應に入学したばかりの私は、配布されたシラバスに目をみはった。「何だこれ、面白そう! 大学ってこんなことも勉強するのか」。入学前から西洋美術史が勉強したかったのに、気付くと専攻とはあまり関係のなさそうな科目までたっぷり履修してしまった。知らないことを知っていく毎日はとても楽しく、卒業する時には208単位を取っていたほどである(今は履修上限があるらしい)。
あるとき、履修していたホメロスの西洋古典学と日本アニメの社会学がいずれも「自己存在の証明」をテーマにしていたことに気付いた。そのとき、知識と知識の根が地下で1つに繫がった気がした。学ぶことのワクワク感に満たされ、足取りは軽く、その日に見た三田の丘はとりわけ美しかった。
私は美学美術史学専攻に進み、その後は「聖書に記述のない、聖母マリアの晩年がどのように絵画化されてきたのか」をテーマに研究した。扱う対象は地中海圏全域、5世紀から15世紀という広範囲にわたる。イタリア留学中は作品を徹底的に、はらわたを抜き出すように調べ尽くすよう指導され、美術史の研究手法をどっぷり叩き込まれた。それを体得するのに夢中でもあったし、必死でもあった。裏を返せば、それ以外のことに目を向ける余裕がなかったともいえる。
帰国後、他分野の研究者たちと話す機会が増えるにつれ、研究対象についてこれまで見えていなかった側面があることに気付かされた。そんなとき、ふと、慶應での日々が記憶に蘇った。別々の学問が、実は同じ問題を共有していたり、違う視点から物事を見ることで今まで気付かなかった姿が立ち現れたりする。それを今度は自分の研究の中に見つけてみたい。専門分野を深く掘り下げると共に、他分野からの眼差しをクロスさせることが、知的個性に繫がるのではないか。そう思い、苦労して書いた博士論文の内容を解体し、今度は美術史以外の学問からも研究を見つめ直すことにした。初めての単著『聖母の晩年──中世・ルネサンス期イタリアにおける図像の系譜』(名古屋大学出版会、2023年)はそうやってできた本である。
拙著はありがたいことに今年、第6回文学部西脇順三郎学術賞を受賞した。授賞式で久しぶりに訪れた三田の丘は、学部生のときに見たあの日と同じくらい、美しかった。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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桑原 夏子(くわばら なつこ)
早稲田大学高等研究所専任講師・塾員
専門分野/ 西洋美術史