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【Researcher's Eye】
山田 貴子:共にあるからはじまる

2024/10/16

  • 山田 貴子(やまだ たかこ)

    慶應義塾大学環境情報学部専任講師
    専門分野/共創のための場づくり、セーフティネット構築

フィリピンとの出会いから18年。ここでは、逆境の中にある当事者が主体となり、従来の受動的な支援を超えた共創を目指すプロジェクトを進めている。

先日、活動する村を訪ねた。見渡すと、バスケットボールに夢中の若者たち、ラム酒を飲むお父さんたち、ゴミ山で遊ぶ子どもたち。近くではおじさんが小さなゴミ山に火をつけ、プラスチックが燃える匂いが漂う。目の前では10代の子どもが小さな子どもを抱えている。「弟?」と聞くと「僕の弟じゃないよ」と笑う。フィリピンの村では、近所の子どもたちも大家族のように共に暮らしている。

この光景は、どこか懐かしさとうらやましさを感じる。歩いていると、いつの間にかこどもたちに囲まれ、お菓子の袋をポイポイと捨てる姿が目に入った。「なんでここにゴミを捨てちゃうの?」と聞くと、「生まれる前からゴミはあったから、あたりまえさ」と笑って答える。

なるほど、と思いながらも、このままでいいのだろうか? という気持ちがわきあがる。その気持ちをぐっと抑え、心に留める。私の正しさで、この場を評価してはいけない。ここは彼らの大切な日々を生きる、暮らしの場だからだ。だから、私はただ、共にあることからはじめる。するといつかこの村の暮らしが私の暮らしの一部になっていくはずだ。

翌日、私はゴミ山でこどもたちと火遊びをした。子どもたちはプラスチックを見つけては燃やし、溶ける様子を楽しんでいた。楽しいが、すぐに喉が痛くなった。戻ると、火遊びをしていた少年がお母さんに「プラスチックを燃やすのは体に良くないからやめなさい」と叱られた。彼は「やってないもんねー!」と言いながら、走って戻っていった。一緒に来ていた私の6歳の息子も、ゴミ山を駆けていった。地面にはガラスの破片が散らばっていて、転んで怪我をしなければいいなと心配した。こどもを想う気持ちは一緒だなと、隣で心配している少年のお母さんを見た。

ただ、共にある。その中で、「共にありたい」「出会えてよかった」と思える人ができる。そうしていつか、「この人となら何かやってみたい、できそうだ」と思えるときが必ずくる。それが、共創の始まりだと思う。時間を味方に、ゆっくりと、じっくりと、共にあるからはじまる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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