【Researcher's Eye】
大場 美穂子:日本語について研究する
2024/09/04
職業を尋ねられて、「日本語の研究をしている」と答えると、相手に怪訝な顔をされることが多い。母語について研究するとはどういうことか、具体的に想像することは難しいのかもしれない。そこで、私が普段どのようなことを考えているのか、例を挙げてみたい。
最近、駅のアナウンスで「ご乗車する」という言葉をよく聞く。「間もなく発車いたしますので、ご乗車してお待ちください」などという使い方だ。私自身はこれを聞くたびに微かな違和を覚えるが、周囲の反応を見る限り、特に違和を感じない人が多いようである。
あるいは、こんな例もある。先日のドラマの台詞に「××先生に何時ごろお会いしたんですか」というのがあった。刑事がある人物に「××先生」のアリバイについて尋ねる場面である。「(あなたは)××先生にお会いしたのか」という表現は、これまた私にとっては相当に違和があるが、ドラマの台詞として採用されていることから考えると、少なくともドラマを制作している皆さんにとっては普通の表現なのだろう。
「ご乗車する」「お会いする」という敬語は、いわゆる謙譲語で、聞き手(つまり「あなた」)を主語とする文では使用しないというのが従来のルールである。先の2つの例はこのルールに反しており、ひとまず誤用ということになるだろう。しかし、実はこのように多くの人に共通して起こるエラーは、誤用であるというより言語変化の兆しと捉えたほうがよい場合も多い。少なくとも、なぜこのようなエラーが受け入れられるようになってきたのか、そこには何か理由があるはずだ……。母語を研究していると、このようなことが非常に気になるようになる。
言語は、私たちが想像するよりはるかに整然としたルールでできた体系であり、それゆえ、そのルールに違反が起こる場合にも、複数の人が同じエラーを犯すならば、そこには何か強い動機が存在すると考えたほうがよい。
では、上記の例はどう考えるべきかというと……。はてさて、私としてはぜひこの点についてご説明したいが、残念ながら紙幅が尽きたようである。その話はまた別の機会に、ということにさせていただきたい。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
- 1
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |
大場 美穂子(おおば みほこ)
慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター教授
専門分野/日本語学・日本語教育