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【Researcher's Eye】
鈴木 美穂:美容室での会話から雑考

2024/06/19

  • 鈴木 美穂(すずき みほ)

    慶應義塾大学看護医療学部教授
    専門分野/基礎看護学・がん看護

先日、美容室で白髪染めをしていたら、隣の鏡台の客と美容師の会話が耳に入ってきた。私よりずっと若そうなふたりが、サプリメント摂取の是非について話していた。客のほうが「なぜこの世にサプリメントが存在するのか。普通に栄養バランスの取れた食事をすればよいではないか」と高唱し、血圧を下げるお茶やコレステロールを下げるヨーグルトを次々と否定していった。私だったら、“普通の食事とは何か” “あなたの飲んでいるお茶に添加物は含まれていないのか”と言い返してしまいたくなるところだが、美容師はうまく相槌を打ち、客の持論を引き出していた。次第に話題はスキンケアに移り、客は美容師にさまざまな化粧品を紹介していった。私は、“化粧品は人為的な化学物質の最たるもので、自然の食品を推す信念とは矛盾するぞ”と焦れたが、“総じてヘルスコンシャスな人なのだ”と思い直すと、突然、微笑ましい気持ちになった。そして美容師の傾聴力に感心した。

次の客は美容師よりも少し年上と思われ、先の客の時よりも敬語交じりに野球の話をしていた。客ははじめ若干煩わしそうに返答を選びながら応じていたが、徐々に美容師のペースに乗っていった。先の客の時には完全に聞き役だった美容師が今度は会話をリードし、各人の話している時間は五分五分だった。

私は帰宅後もこの美容師のコミュニケーション術が気になって止まず、データベースを用いて学術論文を検索してみた。美容師の傾聴スキルの上昇と指名客数の増加に関連があることを示した研究があった(松本ら、2014)。雑談スキルとは明確な関連は見られなかったという。美容師の業は「パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくする」(美容師法)技術が第一義的であり、養成施設ではさほどコミュニケーションについては教育していないようである。確かに、私がこの美容師を指名するかは髪をカットしてもらってからの判断だ。看護基礎教育でなぜコミュニケーションに重点を置くのか、看護における傾聴とは何か、そのアウトカムや測定方法も改めて考える必要がありそうだ。

決して聞き耳を立てていたわけではない。白髪染めの放置時間の徒然もよいものである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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