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【Researcher's Eye】
西川貴子:日常の価値観を問う

2024/03/08

  • 西川 貴子(にしかわ あつこ)

    同志社大学文学部教授・塾員
    専門分野/日本近現代文学

学生から「文学研究って役に立ちますか?」という質問をされることがある。話を聞いていると、どうやら「役に立つ」とは、就職に生かせる、スキルアップにつながるということのようだ。しかしそもそも、何をもって役に立つというのかは、人それぞれであり、普遍の価値観ではないだろう。

そんな時、思い浮かぶのが、幸田露伴の「雲の影」(1907年)という随想だ。

天気がそれほど悪くない時でも、雲の影が通り、陰ることがあり、雲が通り過ぎればまた照るという現象がある。しかし自分がいる所が陰っていると、それを一時的な雲の影と考えることは難しく、全体に曇ってきたと信じてしまう。このような身近な例を引きながら、ある時期、ある場の人たちにとって正しい、面白いとされることも時と場によって変わってくる、価値観は変わるということが語られている。

私の研究対象は近現代の日本文学だが、最近では探偵小説、とりわけ怪奇幻想性が強い「変格探偵小説」に関心がある。探偵小説では、事件が起こった混沌状態から謎が解かれ、秩序が戻るというのが定型だ。しかし事件後、全てが元に戻るわけではない。特に変格探偵小説では、日常から排除された異質なものが強調され、謎も合理的には解決されず、日常の不条理だけが浮き彫りになって終わることが多い。

例えば、シベリア出兵時のハルピンを舞台とした夢野久作「氷の涯」(1933年)は、無実の横領・殺人罪をきせられ逃避する「僕」の遺書という形式をとる小説だ。探偵の真似事をしたばっかりに、日本兵の「僕」は事件に巻き込まれ、日本軍・赤軍・白軍から追われ、白系ロシア人の娘とハルピンから逃避行をする。濡れ衣をきせられたことはもちろん、そもそもシベリア出兵自体、「僕」にとって不条理な事態でしかない。この作品は、そんな「僕」の日常を成り立たせる秩序の危うさを突きつけている。

何を異質とするかは、その時、置かれた環境によって変わる。私たちは、その時々の〈雲の影〉の下にいる。だからこそ、他者の言葉を通して、自分の価値観が問い直され、常識が揺さぶられる瞬間はスリリングなのだ。──〈雲の影〉に気づき、違うものの見方をできるようになること。文学研究の意義の1つはそこにあると私は考えている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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