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【Researcher's Eye】
杉山大典:数字の魔力

2024/01/26

  • 杉山 大典(すぎやま だいすけ)

    慶應義塾大学看護医療学部教授
    専門分野/ 予防医学、疫学

北欧神話における世界の終焉の日ラグナロクにおいて、雷神トールは世界を飲み込まんとする大蛇ヨルムンガンドに致命傷を与えるが、自身も大蛇の吐く毒によって9歩下がった後に息絶えたとされる。この場面の描写では「数歩」ではなく「9歩」と明確な数字が記されている点が重要だ。北欧神話では、世界は9つに分かれているとされ、トールが「9歩」を超えられなかったことは滅びゆく世界と運命をともにすることを暗示している。ラグナロクの後に世界は新生されるが、「数字の魔力」から逃れられなかったトールは厄災を生き延びて新しい世界を目にすることはできなかったのだ。

翻って、私が関わっている予防医学の分野を含め、現代社会ではさまざまな数字が飛び交っている。例えば、「健康のためにアルコールを控えるようにしましょう」と言ってもあまりに漠然としており、どの程度控えたら良いのかよく分からない。そこで具体的な数字の出番となる。

2023年9月に厚生労働省から公表された、健康に配慮した飲酒に関するガイドライン(いわゆる飲酒ガイドライン)の文案においては「飲酒量(純アルコール量)の参考となる数値としては、第2期計画や令和6年度から開始予定の健康日本21 (第3次)において、『生活習慣病のリスクを高める飲酒量』として、『1日当たりの純アルコール摂取量が男性40g以上、女性20g以上』が示されています。これよりも少ない量での飲酒を心がけることは、生活習慣病のリスクを減らすことにつながると考えられます。」と明記された。

しかし、このような分かりやすい数字の指標が示されて一件落着というわけにはいかない。ガイドライン案を慎重に検討していく中で「男性は40gまで、女性は20gまで飲酒しても全く問題ない……という誤解を与えないか?」との声が上がってきたのだ。「男性40g・女性20g」という数字だけが独り歩きしないだろうかという懸念である。11月に示された最終案では「男性40g・女性20g」についての記載は残しつつ、疾病ごとにリスクとなるアルコール量を明示して注意喚起を促すという形に落ち着いたようだ。

日頃「数字を扱う者」としては、「数字の魔力」に取り込まれないようにしつつ、数字と上手く付き合っていかねばと改めて感じた次第である。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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