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【Researcher's Eye】
熊倉和歌子:その水は誰のものか

2023/10/20

  • 熊倉 和歌子(くまくら わかこ)

    慶應義塾大学経済学部教授
    専門分野/中近世エジプト史

ここ10年ほど、エジプトの水利の歴史を研究している。水は土地と違い、とりとめがない。形を変え、消失するモノでありながら、人間の生命には欠かせない。水に興味を持ったきっかけは博士課程在籍中の出来事だった。2年間のカイロ留学を終えた私は、博士論文の提出までをテレビ番組の制作補助のアルバイトをしながら食いつないだ。撮影があればエジプトに飛び、現場で通訳やロジスティクス管理を行っていた。

ある年の8月に行われたピラミッド内の撮影は過酷だった。かの有名なギザの3大ピラミッドの中で最大のクフ王のピラミッドの内部を撮影するのだが、その入口から玄室までは狭く、角度のきつい回廊が続く。そこに大型の機材を運び入れる。その作業を担うのは、現地で雇用されたエジプト人だ。私は彼らに、何をどこに運び入れるかを説明し、現場での指揮の一端を担う。乾燥地といえども、真夏のピラミッドの内部は人間が発する汗で湿度が高く、匂いもきつい。皆汗を流しながら、重い機材を運んでは降りという作業を繰り返した。

一通りの作業を終えたところで、作業員たちが、水をくれ、と言って私のところに集まってきた。私の足下にはペットボトルがクーラーボックスの中でよく冷えていたが、それは日本から来た俳優とスタッフのための飲み物だった。私は過酷な作業を終えた彼らに1本ずつ水を配りたかったが、隣にいたスタッフの1人に止められた。私が彼らに謝ると、彼らの中から、「水はあんたたちだけのもんかい?」という声が聞こえた。それに呼応するように、「ここは砂漠なんだぜ、喉が渇いている人がいたら水を恵むのが人っていうもんだろう?」とみなが言い始めた。私はスタッフが現場を離れたすきを見て、彼らにペットボトルを渡した。

帰国後、この時のことが頭から離れなかった。同じものを見ているはずなのに、一方ではペットボトル=経費でしかなく、もう一方では水=命であったことが心の中でひっかかっていたのだ。それは倫理的な問題でもあり、同時に所有をめぐる問題でもあった。当時、私は土地制度史に夢中になっていたのだが、この一件は、そもそも土地に引く水は誰がどのように管理・利用していたのか、という疑問に結びついていった。歴史研究のタネは、どこに落ちているかわからない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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