三田評論ONLINE

【Researcher's Eye】
林健太郎:社会法の現代的意義を求めて

2023/05/29

  • 林 健太郎(はやし けんたろう)

    慶應義塾大学産業研究所専任講師
    専門分野/ 社会法

私は社会保障法および労働法を専攻するが、自らの専門分野を説明する際、意識的に「社会法」という名称を用いる。

かつて「社会法」という語は「市民法」という概念との対比で用いられた。市民法の世界では、対等な法主体による対等な立場での交渉を通じて法関係が形成されるのに対し、社会法は、現実に存在する力の不均衡に着目し、かかる認識を基礎にした法理論の構築を志向する。社会法の属する分野には、労働法や社会保障法、経済法などが挙げられてきた。

もっとも現在では、これらを殊更に対比・強調することの意味は失われているとされる。現在でも社会法という名称を用いてこれらの法分野を示すことはあるものの、その名称の持つ意味がどの程度まで意識されているのか私自身は懐疑的である。実際、かつて社会法として括られてきた各分野は、それぞれ独立して各々の守備範囲と方法をもっていると感じられる。もはや「社会法」概念は歴史的遺産なのだろうか。

いや、そうでない、というのが私の問題意識である。昨今の変化はむしろこの概念への再注目を促しているのではないかと思わせるものがある。例えば2000年代後半のいわゆる「ワーキングプア」の顕在化は、人々が雇用を通じた収入のみで安定した生活を享受できる/社会保障は十分に働くことのできない人々のためのものである、という労働法と社会保障法の棲み分けがもはや現実的ではないことを突きつけた。また、最近のフリーランスのような雇用によらない働き方=労働法の適用を受けない働き手の増加は、これらの者の保護の方法として経済法(独占禁止法)の活用、労働法と経済法の協働という議論を生み出している。もちろん、現実に課題の交錯があることのみで直ちに社会法の意義が証明されるわけではない。しかし、かつてその性格の共通性が語られ、その後相互に独立発展していった法分野が再び同じ課題へと目を向けることが求められているのは、社会法という枠組みに新たな意味を持たせる契機かもしれないのである。

慶應義塾では社会法という名称の下、現在でも労働法と経済法がともに研究指導を行う伝統を残している。この場を社会法の現代的意義を考え、世に問うていく拠点とすべく邁進していきたい、というのが私の専門分野の説明に込める思いである。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事