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【Researcher's Eye】
小川愛実:たゆたう住まいのかたち

2023/02/17

  • 小川 愛実(おがわ あみ)

    慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科専任講師
    専門分野/建築工学・住居学

ある日の学生たちとの会話を思い出す。「好きなアーティストは?」という問いに対し、驚くべきことにそこにいた全員が「とくにいない」と答えた。聞けば彼らはストリーミングを適当に聴いているという。何事も選べることが当たり前の現代には、選択肢が多すぎるがゆえにどれを選べばよいかわからないという声もある。この選択負荷の増加を、1つに決めず、1カ所にとどまらず、つねに新しいモノ・コトとの出会いを受け入れ、手放していく、「選択しない」という選択へと昇華させている。

多様性の尊重が叫ばれる昨今、人々は自分らしさからくる独自の「心地よさ」をつねに模索している。そして、たとえ心地よい環境に出会ったとしても、それに固執することなく快く手放し、次の出会いを求めていく。とめどなく流れる数多の選択肢の中から1つではない最適解を探し続けることで、これまで知らなかった発見に巡り合い、生きるという行為を実感しているのではないだろうか。

生き方や思想と住まいのかたちは密接に関係している。住まいの流動化の最たるものが、アドレスホッパーという生き方である。ホテルなどを転々としながら生活するケースやモバイルハウスで住宅自体を移動するケースなどその形態はさまざまである。これにはミニマリストの出現も重なる。モノの所有を最小限にとどめることで身軽な生き方を可能にし、同時にモノを共有するというエシカルな側面もある。

パンデミックをきっかけに、これまでのスタンダードはその座を追放されつつある。そもそも、「日常生活が営まれる環境の範囲」と定義される住宅には、寝食だけでなく仕事をする場所としての役割が包含されている。我々がこれまで持っていた認識は、用途ごとの場所の区分を前提とした空間設計や業務上の合理性によって意図的につくり出されたものにすぎないのだ。そしてパンデミックを経た今、その区分は曖昧さを増している。リモートワークの日常化は職場や住宅などの場所に固定された行動の流出を促した。ワーケーションは、仕事と休暇という時間的な境界だけでなく、場所と行動の結びつきである空間的な境界をも曖昧にしている。

住まいのかたちはどこへ向かうのだろう。ヒントは人々の思想に見え隠れする。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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