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【Researcher's Eye】
佐髙春音:にぎやかな読書の楽しみ

2022/12/09

  • 佐髙 春音(さたか はるね)

    東京大学人文社会系研究科助教・塾員
    専門分野/ 中国文学

中学生の頃、翻訳を通してではあるけれども、初めて『水滸伝』という作品と出会った。作品内に登場する豪傑たちは、酒を飲み、肉を食らい、暴れまわり、大いに怒り、大いに笑い、時に大いに泣く。どこまでもにぎやかだ。その鮮烈な世界に衝撃を受けて、いつの間にか抜け出せなくなってしまった。あれから20余年経った今、私は研究者のヒヨコになり、『水滸伝』を中心に据えて、明・清時代の通俗小説を研究している。

この時代の通俗小説は、視覚的にもにぎやかだ。おもに明代後期以降、小説の本文に「評点」と呼ばれる付加的要素の入った書物が盛んに刊行された。評点には2つの要素がある。1つは作品の本文に対する批評者の評語(コメント)で、本文の文字横や、本文上部の余白部分に付されたり、本文の行間に挿入されたり、各話の前後に置かれたり、複数の形式がある。もう一つは、作品の読みどころを強調するために、本文の文字横に付される記号で、「ヽ」「〇」「◎」「△」など、さまざまな種類が用いられている。

とりわけにぎやかなのが、金聖歎(きんせいたん)という明末清初の文人が評点をつけた『水滸伝』だ。その評語の量は膨大で、箇所によっては本文の量を上回るほど。際立つのは文章表現に対する微細にわたる考察だが、当人の好き嫌いが露骨に表れている人物評も面白い。大好きな李逵(りき)に対しては、些細な言動も見逃さずに褒めたたえ、「李大哥(李アニキ)」と親愛をこめて呼んだりする。一方、大嫌いな宋江に対しては、やはり些細な言動も見逃さず、それらが策謀であると力説する。私もまた李逵のファンであるため、金聖歎の評語を読みながら、「そうそう、そのとおり!」と脳内で賛同する。ただし宋江も決して嫌いではないので、「それはちょっと酷くない?」と脳内で文句をつける。頭の中もたいへんにぎやかだ。

研究は冷静かつ客観的に行わなければならない。そのことは重々わかっているのだが、私の研究対象はさまざまなにぎやかさでもって、私の感情を揺さぶろうとしてくる。しかし、そのような存在でなければ、研究の道に進もうと思うこともなかったに違いない。さて、コロナ禍で楽しみが減ってしまったとお嘆きのみなさま、今宵は『水滸伝』の世界に入り込み、大いに飲んで騒ぐのはいかがでしょう?

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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