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【Researcher's Eye】
新妻雅弘:越境的研究の難しさ

2022/02/09

  • 新妻 雅弘(にいつま まさひろ)

    慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科専任講師
    専門分野/バッハ研究、音楽情報処理

私は慶應義塾大学大学院在籍時、当時学んでいた薩摩琵琶という不思議な縁でお会いする機会をいただいたバッハ基礎研究の第一人者、小林義武先生の「私が今筆跡の研究をするなら計算機を用いる」という言葉などが主因となり、イギリスの大学院に博士課程留学することを決めました。そこでは歴史的音楽学や画像処理、そしてロボティクスの専門家などと協力し、自筆楽譜から知識を抽出したり、専門家の見解を検証する研究に取り組みました。

異なる専門分野の協力による越境的研究は巨大・複雑化した現代社会の問題を真に解決するために必要不可欠であり、若くしてこの稀有な機会を得たことは幸いでした。中でも重要と感じたことの1つが、洗練された専門家の洞察を理解するには、それが革新的なものであればあるほどお互いの信頼関係が重要であるということです。

私たちは常に「自分」という習慣によって作り出された起点から物事を眺める癖があります。私は当時、その起点を俯瞰できず、卓越した洞察をもつ専門家に心を閉ざされてしまった苦い経験があります。そのきっかけとして「科学的根拠はありますか?」という発言があります。私は昔、自分を起点とした視点からは容易には理解できない物事に遭遇した時、深く考えずにそう発言していたのです。しかし、それにより相手との交流が根絶し、深く考え直す機会を得ました。私は相手の立場になって物事を捉えようと真摯に努力していたか? 自分の枠組みに物事を押し込めてはいなかったか? 私はどう発言すべきだったのか?

越境的研究において重要となる専門家の暗黙知は、現在の測定技術でデータ化できないようなものも多く含んでいます。歴史を振り返れば、今の私たちの生きている社会というものはその当時では裏付けが難しいような、ほんの一握りの人間によってなされた独創的発見や発明を基盤に作られている、という事実があります。こうしたものの多くは感覚と概念の複雑な往来によって初めて認知できるもので、思考の積み上げのみによっては到達しえないものが多いと感じます。最近ではこのような問題意識をもつ者が増え、これまでは認められにくかった挑戦的課題をテーマとする研究者も増えてきているようです。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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