【Researcher's Eye】
山田尚子:冬ですが、月の話を少し。
2021/12/09

今年の中秋の名月は9月21日で、8年ぶりに満月と重なることが話題となりました。1年のうち、月といえば秋、というのが、もちろん大方の季節感だと思います。ただ私は、冬、身を縮めながら歩くときにふと見える月に、なぜだか強く心惹かれます。
雪と月とをめぐる中国故事として著名なものに、東晋の王徽之(おうきし)の逸話があります。雪が晴れ、月が清朗と輝く夜、徽之は友人の戴逵(たいき)のことを想い出します。そこで徽之は小船に乗り込み、山谷に隠棲する逵のもとへと向かいました。川を遡り、一晩かけてその家の門に辿り着きます。ところが、徽之は門の中には入らず、そのまま帰ってきてしまうのです。せっかく行ったのになぜ、と訝る人に「興に乗りて行き、興尽きて返る。何ぞ必ずしも戴を見んや」と答えたといいます。
徽之は王羲之(おうぎし)の子。4世紀後半の人で、字(あざな)を子猷(しゆう)といいます。この話は平安期の文人たちの間で広く知られ、多くの漢詩や和歌に詠み込まれました。日本の人びとがことさら感興をおぼえたのは、月光の下、小船に乗って友のもとへと急ぐ徽之の姿だったようです。
平安後期の藤原茂明に「歳暮に志を言ふ」と題された詩があります(『本朝無題詩』巻五)。宮仕えの辛さと学究の難しさとを述べた後、続けて「月の夜に船を廻(めぐ)らす江館の外、雪の朝に馬を尋ぬ野村の南」といいます。このうち、「月の夜に船を廻らす」は、前述の王徽之の故事を用いています。自らの心の赴くまま、月の夜には友を訪ねて舟を出すことができる、そんな自適への憧れを表した句だと思います。
中唐の詩人白居易は、「夜深(ふ)けて草詔罷(や)み、霜月凄として凜々たり」と、冬の月を詠んでいます(『白氏文集(はくしぶんしゅう)』巻五「冬夜に銭員外と同(とも)に禁中に直す」)。37歳の白居易が、同僚の銭徽(せんき)とともに職場の翰林院に宿直して詠じた作です。冬の夜、仕事を終えて外を眺めると、あたりが凍てつくように月光に照らされていたのでしょう。「霜月」は、霜が降りた夜の月を意味します。霜の白に月の白が照り映え、よりいっそう互いの白が際立つ、そんな幻想的な情景を想像します。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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山田 尚子(やまだ なおこ)
成城大学文芸学部准教授
専門分野/ 国文学