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【Researcher's Eye】
三尾裕子:パイナップルの甘味と酸味

2021/08/13

  • 三尾 裕子(みお ゆうこ)

    慶應義塾大学文学部教授
    専門分野/ 文化人類学

私は大学院生時代に台湾で住み込み調査を始めて以来三十数年、宗教信仰や植民地主義、グローバル化などに関して文化人類学的な研究を続けてきた。

調査を始めた頃は、「台湾に行く」と言うと「タイ?タイ料理は辛いらしいよ」などと、頓珍漢な反応にいささか驚いたのが忘れられないが、最近は、「台湾、私も行きました」とか「この間、祖父が台湾生まれだと聞きました」などと言われることも多い。なにより、2011年の東日本大震災時、台湾からたくさんの寄付をいただいたことが多くの日本人の台湾への認識を変えた。手軽な旅行先という以上に、ともに助け合う隣人という関係が生まれているのは、台湾研究者としては嬉しくないはずはない。

最近は、台湾への中国からの圧力が強まるなか、中国が輸入禁止にした台湾パイナップルが、多くの日本人に買い支えられている。輸入されたパインはことのほか甘く、芯まで食べられ、私も値段と体重に目をつぶってつい買ってしまう。

ところで、フィリピン産などと違って台湾産パインは新顔と思われるかもしれないが、じつは違う。スーパーでも見かける沖縄産、八重山産のパインや、年配の方なら、生のパインではなく甘い汁に浸かった缶詰のパインを覚えておられるだろうが、これらは起源をたどれば台湾人農家や缶詰業者に行き着く。植民地期に台湾から締め出された彼らは、当時石垣島の未開発地域に入植し、マラリアや地元民との軋轢などを克服してパインを植え、缶詰を製造した。第二次世界大戦後、台湾と八重山の間に国境が引かれてからも、台湾からの移民や技術者がパインの栽培や加工を支え、今日の石垣島の社会に貢献してきたことはまださほど知られていない。

私が近年石垣島に足を運ぶ機会が増えているのも、台湾での調査地からの移住者の存在を知ったのがきっかけだ。石垣島の台湾人社会は、日本植民地主義の文脈の中で形成された。また、とかく華僑華人は商人や起業家とイメージされがちだが、日本には、農業開拓民というあまりこれまで注目されていないタイプの移民社会があり、華僑華人研究という点からも興味深い。パインの中には、植民地統治と移住に起因する苦難の歴史という酸っぱい部分があることも頭の片隅に置きつつ、その甘さを堪能していただければ幸いだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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