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【Researcher's Eye】
髙橋傑:地域を見る目

2021/07/16

  • 髙橋 傑(たかはし すぐる)

    慶應義塾普通部教諭(社会科)
    専門分野/日本中世史

学生時代から、いろいろな荘園の現地調査を行ってきた。主に日本の中山間地域をフィールドに、水田の用水路を地図におとし、石造物の所在を調べ、1軒1軒まわって聞き取りを行う。これらの成果が何らかの像を結ぶ時、暑い最中のあぜ道歩きは報われ、お世話になった方々の顔が目に浮かぶ。

中国山地のある集落で聞き取りをしていた時のことだった。そこへ向かう道は、途中まで山の中とは思えないほど立派な、片側2車線のものであった。しかし、集落の2キロほど手前からは、すれ違うのもやっとの道となる。この最後の2キロが様々な人の行き来を妨げていた。通勤、通学の交通の便はもとより、救急車・消防車の往来の妨げにもなっているという。

80代半ばの老夫婦は、「この道さえつながれば、子どもたちもきっと帰ってくる、一刻も早く開通して欲しい」、と語っていた。しかし、我々がこの集落に着くまでに走行した8キロほどの間、1台の車ともすれ違わなかった。

果たしてこの地域にとって、道路の延長は必要なのか否か、都会育ちの私には結論は出せなかった。このままでは、この集落はあと10~20年の間に、山へもどっていくだろう。

普通部の選択授業「Digital Humanities」を、民俗学を専攻する国語教員と共同で担当している。普通部生は近世の地誌をテキストデータ化し、GIS(地理情報システム)上で位置情報を与え、自前のデータベースを作成した上で、各自の興味に随って考察を行う。実際に歩いて新たな発見に至る者、文献調査だけで独自の視点を獲得する者、彼等の発表は、聞いていて興味をそそられるものばかりだ。立派に地域の一側面の発見者になっている。

近年、この「地域」という言葉は、現代社会が抱える問題を解決する魔法の言葉として使われているように感じる。地域がそこに住む者の生命と財産を守る機能を果たしてきたことは確かであろう。

しかし、地域全体を維持するために、個が犠牲にされてきた事例も、歴史上枚挙にいとまが無い。それが上から編制された地域でも、自発的に形成された地域でも、である。かつて私が答えを出せなかった問いに、この先若者は直面することになるだろう。集団か個か、地域を見る目から、多様なあり方を感じ取って欲しいと切に願っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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