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【Researcher's Eye】
ルネサンスから学ぶ考え方

2021/04/12

  • 小池 美穂(こいけ みほ)

    福岡大学人文学部講師・塾員
    専門分野/フランス文学・学問論

今日では知識が大衆化され、スマートフォンを起動すれば、ウィキペディアなどですぐに知識を確認することができる時代である。また、テレビのクイズ番組や世界情勢を説明する番組など、目まぐるしく情報が行き交っている。

大学教育に目を移せば、「リベラル・アーツ」や多領域分野を主張する学科などが「流行」し、専門性よりも一般教養が求められている。実は、ルネサンスの学問形態がこのようなことと非常によく似ている。

ルネサンス時代、学問のジャンルは曖昧できちんと切り離された形で確立されていなかった。1つの学問を語る際、他の学問から援用するケースが多々あった。例えば、天文学書の中で虹の現象を説明する際に、ペリパトス派(逍遙学派)の理論を述べた後、神話を用いるなどして理論と物語が混じりあったり、幾何学の証明方法に弁証法を取り入れたり、多視点から1つの問題を考える傾向があった。それは、まだ自然のなかで解明されていない事柄がさまざま存在していたからである。また、「多視点」ということは、当時の学者が膨大な量の知識を習得し、整理整頓することを意味していた。さらに、時代の変動によって学問の形も変わっていった。例えば、博学な人たちが当時の技術的な進歩に伴い、数学に関する「実践」の必要性を感じ取り、理論書を見直す運動を起こし、この見直しから徐々に「数学」は他の学問から切り離されることとなるが、まだ17世紀に入っても学問自体が他の学問と混じりあい、曖昧な状態が続くこととなる。

今日では、学問領域の「融合」を目指し、「統合」を図ろうとするが、一方ルネサンスにおいては、諸学問が「統合」され、学問領域の「分離」を目指そうとする。「融合」や「分離」の作業によって、どのように知識を寄せ集めたり、切り離したりするのか? この作業を行う際、どの知識が正しいのか誤っているのか、あるいはどの知識を残すのか残さないのかを判断する必要がある。つまり「判断力」を養わなくてはならない。人間が「判断する」という行為自体、思考の大事なプロセスだからである。

この思考プロセス、つまり物事の考え方をルネサンス人から私たちは学びとり、応用することで新たな「学問の形態」に辿り着くことができるのでは、と考えている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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