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【Researcher's Eye】
人の「心」の刑法的保護

2021/02/09

  • 薮中 悠(やぶなか ゆう)

    慶應義塾大学法学部准教授
    専門分野/ 刑法

現在の刑法典は明治40年に成立した歴史のある法律ですが、人の精神が刑法で保護されるのか、精神的機能に障害を生じさせることが刑法上の傷害と評価されるのかという問題が意識的に論じられるようになったのは、比較的最近です。

刑事裁判では(それ以前にも抑うつ状態などが傷害に該当するかが争われた例はありましたが)特に2000年頃からPTSD(心的外傷後ストレス障害)の評価が問題となる事案が散見されるようになります。これは、1995年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が契機となり、PTSDが社会的に知られたことと無関係ではないでしょう。2012年には最高裁判所も、監禁の被害者がPTSDを発症した事案で精神的機能の障害も刑法上の傷害であると認めました。

このような判断は、通説によっても支持されており、私も妥当であると考えています。しかし、このような立場による場合には、次のような問題に直面します。すなわち、私たちが日常生活において精神的なストレスを受けること(や知らずに与えてしまうこと)は珍しくありません。仮にそのすべてが傷害に当たるとすれば、家を出てから帰宅するまでにいくつもの(過失)傷害罪が成立することになりかねず、気軽に人とコミュニケーションをとることもできなくなるでしょう。このような事態を避けるためには、傷害に該当する精神的機能の障害とそれに該当しない精神的ストレスとを適切に区別することが必要となります。

また、最高裁判所は、約半年にわたり連日連夜騒音を鳴らし続けて隣家の住民に精神的ストレスを与えて睡眠障害などの症状を生じさせた事案で、傷害罪の成立を認めています。

この判断は、精神的ストレスも傷害の手段・原因となりうることを示したものと理解されており、支持されています。しかし、精神的な影響は、殴る・蹴るといった物理的な影響に比べて、広範囲に及ぶ可能性があります。たとえば、家庭内暴力の事案では暴行を受ける被害者は配偶者ですが、それを目撃した子も精神的影響を受けます。

従来は、身体に比べて精神の保護が十分でなかった面や心理的影響が過小評価されていた面があったように思います。この点は十分に議論されて克服されるべきですが、その際には同時に過度の犯罪化を避ける方策も求められます。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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