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【Researcher's Eye】
大学の役割と哲学

2021/01/14

  • 石田 京子(いしだ きょうこ)

    慶應義塾大学文学部准教授

    専門分野/近代ドイツ倫理思想

私は18世紀ドイツの哲学者、イマヌエル・カントの法哲学の研究を行っている。倫理学専攻の出身だが、もともと社会システムに対する関心があり、法哲学や政治哲学を勉強するようになった。『純粋理性批判』などで知られるカント哲学のなかでは、法哲学は知名度の低い分野だが、カントを通じて、自由な理性的存在者としての人間にとっての法がどのようなものであるべきかという問いを追究している。

ところで最近、カントにおける国家と市民の徳との関係をテーマに話をする機会があった。カントの実践哲学に少しでも触れたことがある方には意外に思われるだろうが、カントは法と倫理の峻別を説き、国家の目的は人々を有徳にすることではないと考えていた。しかし、『諸学部の争い』というカントの最晩年の著作を読み直すと、国家と有徳さの問題を切り離せるにせよ、もう少し別の見方もできる。

『諸学部の争い』は、神学部・法学部・医学部という上級学部と、哲学部という下級学部の関係をテーマにしている。今風に言えば、大学論である。カントの時代、道徳教育はキリスト教教会が担っていた。国家は行為の外面性のみを問題とする法を扱い、心の内面を扱う宗教や教会は国家の管轄外である。ところが大学という、国王の認可した世俗的組織が神学研究を担うことは、国家が心の内面の問題にかかわることを示している。では大学は何を果たすのか。カントによれば、既存の宗教の教義は歴史的に構成されており、必ずしも合理的とは言えない。大学は、それらの教義や聖書の記述を文献学的に考証するだけではなく、それらを妥当なものとして受け入れられるかを判断することを教えなければならない。そして、その判断基準を提供する部局が、哲学部だという。カントにとって大学の意義は、社会のなかにありつつ、当の社会に対する合理的・批判的視座を可能にするところにある。

現代はカントの生きた時代とは状況が異なるが、この本を出版する数年前にカントは検閲を受け、執筆活動を制限されるという体験をしていた。社会との緊張関係のなかで道徳や法についての発言をすることの難しさはあるが、カントがその状況で敢えて表明した大学の役割と哲学の意義について、今後も考えてゆきたいと思う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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