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【Researcher's Eye】
機械仕掛けの人格

2020/06/25

  • 齊藤 邦史(さいとう くにふみ)

    慶應義塾大学総合政策学部准教授
    専門分野/ 民事法律実務

機械学習の活用により故人の歌唱を模倣して生成された映像が年末の紅白歌合戦で放送されたこともあり、肖像や音声の仮想的な再現が議論を呼んでいる。また、生存する人物についても、性的または政治的な目的で巧妙に偽造された映像が、いわゆる「ディープ・フェイク」として問題になっている。情報技術の普及により、特定の人格を表象する視聴覚情報について、「現実」の記録と「仮想」の創作との判別が容易でなくなりつつある。

日本では、肖像等を保護するための特別な法律はないものの、民法の解釈として、精神的損害についてはいわゆる肖像権、財産的損害についてはパブリシティ権の侵害を根拠とする賠償請求が認められてきている。もっとも、商業的な顧客吸引力を保護するパブリシティ権も、その性質は人格権に由来するものと理解されており、本人の死後に権利が存続するかどうかについては議論が続いている。また、個人情報保護法による保護の対象も、生存する個人に関する情報に限定されている。

他方、米国では、パブリシティ権の性質を財産権とする見解が多数を占めており、州法によってパブリシティ権の相続を認めている例も少なくない。それでも、ニューヨーク州法の改正がたびたび頓挫していることからもうかがわれるように、政策的な評価としては賛否両論の状況が継続している。特に、死後におけるパブリシティ権の存続期間については、州による差異が大きく、連邦法の制定による統一を待望する見解も根強い。

故人の肖像等が、かつて実在した「人格」の記録を越えて利用されるとき、「違和感」を訴える人は少なくない。その「違和感」の正体は何なのだろう。遺族や関係者に対する配慮だろうか。仮にそうだとすると、そこで想定されているのは、精神的な平穏の保全なのか、財産的な対価の分配なのか。そうではなくて、消費者の誤解を招くおそれが問題なのだろうか。あるいはむしろ、死者に対する宗教的な感情の発露だろうか。いずれにせよ、表現の自由にも関わる問題として検討が深められるべき時期に来ている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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