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【Researcher's Eye】
適切な距離

2020/06/10

  • 佐川 徹 (さがわ とおる)

    慶應義塾大学文学部准教授
    専門分野/ 文化人類学

私は、2001年からエチオピアにくらす牧畜民のもとでフィールドワークを進めてきた。彼らは家畜とともに遊動的な生活を送るノマド(遊動民)である。「なぜ移動するのか」と尋ねた私に、人びとはよく「ここは空気が悪くなったからだ」と答えた。牧畜民が移動するのは、必要に迫られてのことだと考える人が多いかもしれない。家畜が食べる草がなくなったから、資源を求めてさまようのだと。だが、それは定住中心的な視点にもとづいた憶断でしかない。

たとえば、アフリカでは定住的な農耕社会には呪術が多いが、遊動的な牧畜社会には少ないとの指摘がある。1つの場所で同じ相手と住み続けなければならない定住民は、不愉快な隣人がいても、その感情を直接相手にぶつけることは難しい。そのため、人間関係の葛藤を超自然的な力を用いて解決しようとする。それに対して遊動民は、一方が共住空間から離れてべつの場所へ住処を移すことで、葛藤を宙づりにする。いやな奴がいてもしばらく顔をあわさなければ、苛立った気分も和らぐだろう。ノマドにとって、移動により物理的な対人距離をとることは、人間関係を調整する主要な手段なのだ。

人類学者の西田正規は、ノマドによる移動の多機能性を強調するとともに、ノマド自身は「くせとしての移動」も行うと指摘する。この指摘は、牧畜民と長くともにくらした経験がある者にはよく理解できる。草は充分にあり、村内の人間関係に問題がなくても、彼らはわずか数百メートル離れた場所へ移動していくことがある。同じ空間に滞留し続けることそれ自体に、人びとはなにか居心地の悪さを感じているようなのだ。上述した「空気が悪くなった」ということばは、そのような彼らの身体感覚をよく伝える表現である。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、他者や環境との「適切な距離の取り方」を見定めることが、人類にとって重要な課題となってきた。私が専攻する人類学の主要な方法論であるフィールドワークは、当分の間、実施することが難しそうである。調査対象に対面して話を聞くことが、フィールドワークを特徴づける要素だからだ。しばらくは手持ちのフィールド・データを用いて、移動の達人であるノマドにとって「適切な距離」とはなんなのか、分析を深めていきたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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