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【Researcher's Eye】
問いを立てる

2020/04/09

  • 高木 佑輔(たかぎ ゆうすけ)

    政策研究大学院大学(GRIPS)准教授・塾員 
    専門分野/政治学・地域研究

「そんなに人々は無力なのか」。大学院進学を考え始めたころ、ゼミの場で恩師の山本信人先生から投げかけられた問いである。その日は、フィリピンの民主化について報告した。民主化の帰結については、現在においても様々な議論があるが、その日の私の報告は、民主化の実態を権威主義体制以前のエリート支配の復活とする議論を安易に受け止めたものだった。先生の一言に対して、うまく応えきれず、この問いは長く私の中に残った。

それ以来、政情不安や貧困などの現状に甘んじることなく、政策を通じて現状を変えようとする人々が創り出す政治過程を研究テーマとしてきた。博士課程では、中央政府の能力が低いとされてきたフィリピンにおいて、為替管理を通じて一定の工業化を実現した中央銀行に注目し、それを創設した官僚や政治家たちの足跡を辿った。その後、民主化以降のフィリピン政治分析では、社会改革を目指す政策立案者たちについての研究を行った。政策研究大学院大学に奉職後、経済学者と議論を重ね、低所得国から中所得国へと変貌を遂げようとする諸国の政治指導者について、東南アジアのみならずアフリカや南アジアにまで視野を広げて研究を行っている。

こうして振り返ってみると、冒頭の問いはずっと私の中に残っていたことになる。なぜそうなったのかを考えた時、教えるよりも問うことの重要さに気づかされる。一見すると、学生に対して、問いかけるよりも教えるほうが近道にも思える。実際、教員として学生と向き合うようになってから、ついつい一方的に話してしまう誘惑にかられる。しかしながら、手取り足取り教えたつもりが、全く伝わっていなかったり、学生が自分で考えず、常に教員に答えを求めるような関係に陥ったりしそうになる。

そうした時、ふと冒頭の問いかけを思い出す。問いかけることは一方的に講義することよりも難しいし、何よりも忍耐強くなくてはならない。それでも教員が問いを重ねることで、やがて学生は自分から問いを創り、それを鍛えていくようになる。自分自身で問いを立てることで、今まで常識だと思っていたことを意識的に批判する視座を持てる。そう思いながら、自分の研究においても、教室においても、常に問いを立てる日々が続く。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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