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【Researcher's Eye】
同盟とDNA

2020/03/23

  • 鶴岡 路人(つるおか みちと)

    慶應義塾大学総合政策学部准教授
    専門分野/現代欧州政治、国際安全保障

欧州の政治や国際関係が専門で、NATO(北大西洋条約機構)を中心に研究してきた。ただ、そうすると自然にNATO以外の同盟も気になってくる。日本人として日米同盟は当然のこと、米国の他の同盟からも目が離せない。

そうしたなかで、昨年11月、5日で三都市という強行日程の講演行脚だったものの、オーストラリアを訪れる機会があった。米豪同盟を間近にみる絶好の機会である。

米英関係の類推で、「豪州にとっての対米同盟はDNAの一部である」という仮説を先方に繰り返し投げかけたところ、否定した人は一人もいなかった。議論のなかから、日本との違いを含め、特筆すべきは以下の2つである。

第1に、政府関係者を含め、彼らのトランプ政権批判の真剣度が印象的だった。「米国が決定を誤れば豪州に直接影響し、逃れられない」という意識が強い。米国のほぼ全ての戦争に参加してきた豪州にとって、米大統領の決定は自らの生死に直結する。このリアルな感覚の度合いが日本と異なる。

第2に、対外関係における究極の選択肢として、米国をとるのか中国に寝返るのかという議論は豪州で盛んだ。しかし、実際のところは、歴史や文化、言語に照らしても、米国と袂を分かつ可能性は限りなくゼロに近い。個別の政策に関しては米国と立場を異にすることがあっても、国家の運命がかかるときには、アングロサクソンとしてのアイデンティティがやはり大きく作用する可能性が高い。

なにも国際関係を人種で説明しようということではない。それでも、「日米関係に米英関係の真似は無理」という指摘は根強い。最新鋭戦闘機の導入でも憲法改正でも超えられないなにかが存在するのだろう。これは無視できない。

私自身は、同盟は冷徹な国益計算に基づくものだというリアリストの立場である。しかし、上述のように米豪同盟をみてみると、アイディアやアイデンティティを重視するコンストラクティビズムの有効性も否定できない。

国益の変化に応じて柔軟に同盟を組み替えるという、18世紀や19世紀のヨーロッパのような外交は、今日の世界では難しい。21世紀の到達点がDNAの同盟への回帰だとすれば皮肉だが、だからこそこの分野は人間味もあり、興味が尽きない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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