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【Researcher's Eye】
裁判の世界とモラル

2019/12/11

  • 金 美紗(キム ミサ)

    慶應義塾大学法学部専任講師 専門分野/ 民事訴訟法

私の専門は、民事訴訟法である。民事裁判の世界は、普通の社会常識とは少し違った独特なルールで規律されている。たとえば、自己主張の強い人は、社会では煙たがられるかもしれないが、裁判では、どれだけ必死に自己主張をしても誰からも咎められることはない。裁判では、原告も被告も、自分に有利に働く事実をできるだけ多く主張するのが常であり、むしろそうあることが求められる。判決が出たあとになって、「あのときは遠慮して言えなくて」と言ってみても、やり直しはきかない。裁判では、謙譲の精神は歓迎されない。

ただし、裁判の世界でも通用するモラルがある。たとえば、ありもしない事実を捏造して主張することは許されないと言われる。難しいのは、不利な事実を隠すことは許されるかどうかである。少し前のあるテレビドラマで、次のようなエピソードが放送されていた。電車の脱線事故で運転手が亡くなり、その遺族が、鉄道会社に対して損害賠償を請求する。遺族側は、過重労働を強いる過酷な勤務環境が事故につながったとして、職場の安全配慮義務違反を主張するが、会社は容易に賠償に応じてくれない。ようやく交渉がまとまりかけたところで、実は、事故の原因は、運転手の過重労働にあったのではなく、電車の車両自体にブレーキ故障があったことが発覚する。

さて、ここで問題としたいのは、ブレーキ故障があった事実を会社ぐるみで隠蔽しようとしたことの是非である。世の中のモラルとしては、会社は隠蔽工作をすべきではなかったということになるのだろう。最初からブレーキ故障を公表していた場合と比べて、隠蔽を図ろうとしたことによる会社のイメージダウンは不可避である。では、裁判の場ではどうだろうか。裁判という利害が衝突する場で、不利な事実を隠したいと思うのは、人間の自然な本性であり、ブレーキ故障に気づいていない原告に対し、敵に塩を送るような真似をする被告は、愚か者にさえ見える。そう考えると、不利な事実を自ら明らかにする必要はないと言えそうである。しかし他方で、真実発見や公平という観点からみると、不利な事実を明らかにする必要があるとも言えそうである。容易に答えの出ない問題であり、ああでもないこうでもないと、日々思考をめぐらせている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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