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【Researcher's Eye】
「当たり前」が当たり前ではなくなる話

2019/10/07

  • 黒川 義教(くろかわ よしのり)

    筑波大学人文社会系准教授・塾員 専門分野/国際貿易論、マクロ経済学

最近、米中貿易戦争のニュースを見ない日はない。両国が勝つか負けるかの競争をしていると騒ぎ立てる。トランプ大統領は、対中貿易赤字のせいで米国の多くの労働者が職を失っていると述べる。多くの人はこうした議論を違和感なく「当たり前」のように受け入れているのではないか。私も、これからお話する2つの経験を学生時代にしていなかったら、自然に受け入れていただろう。

1つ目は、私が経済学部2年次の終わりに、恩師である大山道広先生のゼミに入るための試験を受けた際の経験である。試験は英語と経済学の2科目だったが、英語はポール・クルーグマンの著書(Pop Internationalism, The MIT Press, 1996)の一節を読んで要約するものだった。政治家などは、国と国が企業と企業のように国際市場で勝つか負けるかの競争をしているかのような議論をよくするが、それは間違いである。企業は潰れることはあるが、国は潰れない。貿易とは、勝つか負けるかのゲームではなく、双方の国に利益をもたらすものである。これは基本的な貿易理論で簡単に示せると。

2つ目は、米国ミネソタ大学経済学部博士課程の2年目、後に指導教授となるティモシー・キーホー先生の授業で貿易と賃金格差というテーマでグループ発表をした際のこと。多くの先進国と途上国で見られる熟練・非熟練労働者の賃金格差の拡大は貿易では説明できない。標準的な貿易理論によると、貿易後、賃金格差は先進国では拡大するが、途上国では縮小するからである。この現実と理論の乖離を1つの理由として、経済学者の多くは賃金格差拡大の主要因を貿易ではなくハイテクコンピュータの導入による技術進歩に求める。自国の労働者は外国の労働者と競っているのではないと。

以上の2つの経験から、国が企業のように国際市場で競争しているとか、貿易のせいで多くの自国労働者が失職するといった「当たり前」のようにされる議論が、基本的な経済学からすると、実は当たり前ではないことを知ったのである。

さて、私はこれからも経済学の研究を続けて行く上で、「当たり前」だと思っていたことが当たり前ではなかったと気付かされる経験を再びすることを1つの楽しみにしたいし、私の授業やゼミを履修する学生にも、そうした経験をするきっかけを提供できればと思う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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