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【Researcher's Eye】
パトリス・ルロワ:レフレクション

2019/03/14

  • パトリス・ルロワ

    フランス国民教育省、慶應義塾大学総合政策学部訪問講師(招聘) 専門分野/フランス語教育、心理学

何と恐ろしい! 己の人生の主人公のはずが、今日では徐々にかりそめの人生を歩む羽目となっている。何かというと、即自撮り。たった1枚の画像に収められ、人生を彩るエピソードは色あせる。カシャ。今日のご飯。カシャ。こんなところに行ったよ。カシャ。この人と会った。いいね。やだね。これは信じる。でもあれは絶対ウソ。思考は単純化し、自発力は低迷の一途をたどるばかり。毎日、着るべき服を教えてくれる天気予報が何とありがたいことか。個性は薄れ、消え失せ、情緒も何もない。自信は一切なく、性的欲望もまた然り。自分を信じなければ、当然他の何も信じられず、自分を愛さなければ、他人をも愛せず。意味もなく泣き、ダラダラと惰眠を貪り、共歓のかけらもない食事をする。どこまでも退行し、安穏な母の子宮への帰還を無意識に望む。

そんな中、集合的信念が強化され、社会的圧力もそれに追随する。政治、経済、宗教に関して保守的な考え(結局は全て同じ)を唱える者たちに囲まれ過ごす日々。順応主義が跋扈していくのと並行して、自身の過失を相手に転嫁するファシスト愛国主義的ポピュリズムがみすみす育つ。成功者を憎み─「なぜマクロン大統領は私と同じような苦労をしないのか?」─またはもてはやし─「なぜ嵐は解散して、私を深い絶望のただ中に放置するのか?」。そして唯一、自身の価値を底上げする要素となるのが他人の不幸。その間、AIは目まぐるしく進化し、我々の知能は逆に顕著なスマホ依存症と病的なファビングに蝕まれ、完全に停滞してしまった。

毎朝、品川駅構内にて、自動運転モードの人間どもを避け、なんとか道を切り拓く私の脳内は大体そんな考えで溢れている。そして数分後、冬の車内で、座席下の暖房にお尻を焼かれつつ、そんな人間どものこわばった寝顔や多種多様な画面に魅入られた表情を眺める。でもだからこそ授業や講義において、その他大勢との違いを求めて、自分本来の「エス(イド)」を見つめ直すよう私は熱弁を振るうのだ! 相手のことをしっかりと聞き、相手のことをしっかりと見る。そこから自分の他者性と個性を見出す。欲望を放棄したことで、深い罪悪感に侵食される苦痛から逃れるには、生きる渇望、何かを成し遂げる渇望を蘇らせる必要がある。要するに、自律への一歩を今一度改めて踏み出せ!

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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